武家屋敷
ぶけやしき
この武家屋敷は江戸時代(1733)の大火で焼失後に再建されたもので、その後幾度かの増改築を経て、2016年から3年間かけて保存修復を行い一般公開された。明治以降は滝川家が住んでおり、漢学者・瀧川資言(すけのぶ)などを生み出している。
武家屋敷の前に広がる通りは「塩見縄手」と呼ばれ、親しみのある地区である(笑)。パンフレットによれば「縄手とは、縄のようにひとすじに伸びた道路のことをいい、塩見縄手には武士の屋敷が並んでいた」とのこと。大きめの庇には濡れ縁を設けている。
縦横無尽に打たれた飛石。飛石の先には蹲踞(つくばい)がある。
また飛石を左手に進むと、伏せ石を使った三尊石。
座敷からの額縁庭園。左手の刈り込み奥が先ほどの三尊石である。
屋敷の裏庭にまで飛石が打たれている。
裏庭には池泉を設け、飛石から石橋へと誘われる。
広縁越しの額縁庭園。
通常は戸は開けられ、広縁としての役割を果たしているが、当日は大雨ということもあり戸が閉められていた。しかし、この戸には窓枠が設けられ、シックな雰囲気となり、むしろ雨の日こそ訪れたい屋敷といえる。このような戸に窓枠を設けているのは、私は初めて経験した。
屋敷東部には流れのような意匠をもうけている。
○ | 雨天時は広縁に戸が閉まるが、戸には窓枠が設けられる。これにより、やや暗い空間からの額縁庭園を観賞できシックで美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |