大池寺は奈良時代(742)の僧侶・行基(ぎょうき)が訪れた際に、日照りに悩む農民のため池を掘り、寺を建立したことにはじまる。その後、江戸初期(1667)に大池寺と改名。同時代に小堀遠州によって作庭したと伝えられる蓬莱庭園がある。
奈良時代に大池寺を開基した僧侶・行基(ぎょうき)の阿弥陀如来像のある臨済宗妙心派寺院。4つの庭園があり、江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の作庭と伝わる蓬莱庭園が見どころ。
大刈込みの造形が、同じく小堀遠州による作庭と伝わる頼久寺(岡山県高梁市)と、とてもよく似ているが、大池寺は石組を使っていないのが大きな特徴である。5月下旬から6月上旬にはサツキの刈り込みがピンクに染まり観光客が増えるシーズンとのこと。手間の平石は庭園のビューポイントとなる礼拝石であり、中央の曲線を描く刈込みは、蓬莱船(宝船)と七福神に見立てている。
蓬莱船(宝船)と七福神を望遠撮影すると、階段状の刈込みを曲線の刈込みで包み込むような意匠となっている。曲線の大刈込みが蓬莱船(宝船)。階段状の刈込みは7つに別れ「七福神」を意味し、書院からは見えないが、刈込み下にある7つの石は「七宝」を意味している。
書院右手前には刈込みと石により、亀島が作られている。鶴島はまったく別の場所にあり、後ほどご紹介。
二段刈込みは大波小波であり、大海に見立てた白砂に先ほどの蓬莱船(宝船)を浮かべている。
反対側の書院に移動して前庭を観賞。
別部屋から先ほどの前庭を眺める。実は、朱色の毛氈(もうせん)が敷かれた書院前の枯山水と繋がっており、松を鶴と見立てており、左の築山が蓬莱山に見立てている。鶴と亀と蓬莱山のある蓬莱庭園は日本庭園の代表格であるが、鶴と亀をそれぞれ別部屋で眺めるスタイルは大池寺だけだろう。また、前庭の向かいにある白壁の蔵も借景になっているとのこと。
白壁になっているのには理由があり、光を反射させて庭園を明るくするためとのこと。借景にライティングの役割を持たせているのも珍しい。
受付を入ってすぐの所にある昭和に作庭された庭園がある。ここでの見どころは、樹齢350年の松であり、高さ1.8メートルほどのところで地を這うように伸びている様子が、龍が伏せたかのようにみえることから「臥龍の松」と呼ばれる。が、いまはその姿はなく、別の松が植樹されているようにみえる。台風か老朽によるものだろうか。。。
「臥龍の松」が見どころだったけに、残念なところですが、同じような松が山門でみられます。後ほどご紹介。
受付をでて山門へ戻ると「心池庭」。築山の頂きにある立石を取り囲むように石が並べられた九山八海ような配列だ。九山八海の説明は、北畠氏館跡庭園(三重県津市)を参考下さい。
こちらが「臥龍の松」のコンパクト版。これでも十分迫力あるが、写真で見る限り「臥龍の松」はこの3倍もあろうかという規模であった。
最後に回遊式琵琶湖庭園。その名の通り、白砂を琵琶湖に見立てた枯山水であり、そのスケールは大きい。写真は琵琶湖北部であり、白砂に置かれた石は竹生島だろうか。
琵琶湖南部を望む、石橋は琵琶湖大橋に見立てていると思われる。趣向の異なる4つの庭園が巡れるなんとも満足度の高い庭園であった。
○ | 石を使わず刈込みだけで蓬莱思想を表現した唯一の庭園(重森千靑氏の解説より)は、上品で美しい。また境内には4つも庭園があり十分な満足感がある。 |
× | 特に見当たらない。 |