圓通寺は、元は修学院離宮の設計を行ったことでも知られる後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の離宮だった。現在は臨済宗妙心寺派の寺院で、庭園は江戸初期とされ、借景庭園として知られる。
比叡山を借景とした枯山水で知られる圓通寺(円通寺)。平らな庭に造られた平庭式の枯山水、直線的な生垣、そして奥にはなだらかな稜線を描く比叡山の対比が美しい。また書院の柱と生垣奥の杉の木は額縁となっており、スケール大きな額縁庭園になっているところにも注目したい。
庭園手前側を「無」の空間とし、奥に石組を配しているのは江戸初期の特徴である。このような特徴は重森三玲によると、秩序確立の江戸初期ではやや伝統的な復古の形態をみせて、つまり儀式の場所としての白砂エリアを復活させているのでないかと推測している。同じく江戸初期に作庭された南禅寺 方丈庭園でも同じ様式がみられる。
作庭当初は白砂敷きだった枯山水。本庭は平面の美を追求した平庭式枯山水であり、横石や庭を深く掘って石の大半を埋めることで、平面的に処理している。
そのため三尊石でさえ横石で構成され、さらに通常は中央に据える中尊石を高くなっているが、圓通寺(円通寺)では添石(脇侍石)の方が高くなった意表ついた構成になっている。
庭園北部には立方体の石組と、丸石と球体型の刈込みとの対比が施されている。
立方体の石組は三尊石風に組まれ、
こちらは丸石と球体型の刈込みと柔らかな意匠だ。一見地味で目立たない石組にみえるが、随所に変化を付けた工夫が施されている。
比叡山を借景とする庭園は修学院離宮や、デビットボウイの愛した正伝寺などが有名である。
枯山水南部を眺めると、縁側横に蹲居(つくばい)を据えている。蹲居とは、隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるために造られていることが多いが、茶室は見当たらないため観賞用だろう。
山門から続く苑路の両側は苔庭になっており、巨石が据えられ品格がある。
○ | 雄大な比叡山を控えた借景庭園として知られる圓通寺(円通寺)のため、石組には注目されにくいが、平面の美学である低い石組にも着目したい。 |
× | 特に見当たらない。 |