福寿寺は平安時代(829)に創建した黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。安土桃山時代に焼失するが、江戸時代初期(1680)に黄檗宗の梅嶺道雪(ばいれいどうせつ)によって再興。庭園もその時代に作庭されたと伝わる。昭和58年には滋賀県指定名勝を受ける。
妙感寺からほど近い場所にある福寿寺。偶然いらっしゃった住職に案内をうけながら庭園を見学させていただくことに。開山堂と本堂を繋ぐ渡り廊下(通幽橋(つうゆうばし))からも庭園を眺められる。
池泉が通幽橋の下まで広がっており、中島の北部に橋を渡している。
中島に2本の切石橋が架かり、橋を渡った山裾から見下ろす。住職の話では中島は亀島とのこと。
本堂付近から切石橋を撮影。山裾の護岸石組は2段3段に積み重なり、急峻な地形を利用して池泉を設けていることがわかる。中島(亀島)の左手には岩島(説明文では浮石)を置き、これを鶴島としている。
左手には亀甲石。分かりやすいように写真に赤線をいれている。つまろ本庭園には亀石組と亀甲石が分かれて、2つの亀石と1つの鶴島で構成されている。
切石橋から山裾に向かって撮影。黄色い草花の奥が亀甲石、その奥には石段を設けている。そして左手には本堂を取り囲むように山裾に巨石が多数あり、名石の岩倉山中にふさわしい光景だ。切石橋の左にある岩島は浮石と説明されていた。
本堂北側から鶴島に見立てた浮石、亀島に見立てた鶴島、そして左手に亀甲石を望む。
中島の東部を撮影。巨石をいくつも重ねることで島を構成しており、写真中央左手の巨石が亀頭石になっている。
本堂西部を撮影。庭園は本堂を囲むように造られているようで、おくには三尊石もみえる。
中島と急峻な山裾を撮影。山裾は枯滝石組になっているとのことだが、具体的にどこが滝石組になっているか判断つかなかった。
開山堂前から近江八幡駅方面を望む。
○ | 渡り廊下と急峻な山裾の間に池泉を造り、巨石による亀甲石、巨石を組み合わせた亀島、もしくは鶴亀兼用島とされる中島を設けたコンパクトながら迫力ある庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |