安国寺
あんこくじ
安国寺は鎌倉時代(1273)に金宝寺として創建。室町時代に足利尊氏の命によってによって再興し、寺号を「安国寺」と改める。江戸時代初期に妙心寺派となる。庭園は室町末期の枯山水とされ、昭和40年(1965)に重森三玲によって復元される。
南北朝動乱の戦死者を弔うために足利尊氏の命によって再興された安国寺。明治大正頃には無檀家で庭は土砂に埋まるほど荒廃していたとのこと。この荒廃した庭園を重森三玲によって復元された。
本堂跡から庭園を眺める。右手の蘇鉄(ソテツ)を配した石組が鶴島、左手の松を植えた石組が亀島となる。
亀島を撮影。斜めに立てた板石が亀頭石となるのだろう。亀島は中心部には中心石を置いている。
鶴島を撮影。鶴島の左手には石橋、右手奥には蓬莱山を設けている。
蓬莱山から亀島を撮影。写真中央の石橋は三途の川にかけられた石橋とのこと。三途の川を表現している庭園としては、滋賀県長浜市にある小堀遠州が作庭したと伝わる赤田氏庭園が挙げられる。
蓬莱山には岩石で仏を表している。この蓬莱山を図解すると、
このようになっている。頂部には枯滝石組と枯流れを見せた渓谷山水の表現となっている。左手には蓬莱連山の石組となっている。
石橋は僅かに浮かされ、石橋の長さ高さが桃山期の手法とのことで、1559年に毛利家に仕えていた安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)によって改造されたと伝わる。
安国寺の南側にある正法禅寺に立ち寄ると庭園があった。
その庭園がこちら。正法禅寺の公式サイトでは「○△□(まるさんかくしかく)」と紹介されており、庭園に「○△□」が隠されているとのこと。○△□の庭といえば、京都の建仁寺の「○△□乃庭」が思い出される。
○ | オーソドックスな鶴亀蓬莱庭園でありながらも、三途の川を表現している希有な庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |