慈恩禅寺(慈恩寺)は室町後期から安土桃山時代(1550~1632)に半山禅師によって開山した臨済宗妙心寺派の寺院である。奥庭の荎草園(てっそうえん)は半山禅師によって、江戸初期に作庭された。また中庭の枯山水は昭和50年頃(1975年頃)に作庭されたものである。
荎草園(てっ草園)の「荎草」とは、モクレン科のつる草。慈恩禅寺の初代住職である半山禅師が作庭した室町様式の池泉観賞式庭園である。半山禅師はこの庭園に「鐘山十景(しょうざんじゅっけい)」を定めている。そのひとつは書院のことで、【白粘室(びゃくねんしつ)】と定めている。以降、鐘山十景は【】で表示していく。
水流は慈恩禅寺南側にある乙姫滝から水を引き、【妃流瀑(ひりゅうばく)】と呼ばれる滝を設け、龍が寝そべった様子を表した【臥竜池(がりゅうち)】に注がれている。また滝のある山は【独立峰(どくりつほう)】と呼んでいる。
橋の奥にある岩山は【吐月峰(どけっぽう)】と呼び、橋を渡している中島は亀島であり【霊亀島(れいきとう)】と呼ばれている。また橋の先にある祠には弁天様を祀っている。
亀の姿を表した【霊亀島(れいきとう)】。
庭園の右手には池泉に山形の岩島を配している。
この岩は中国の伝記で不老長寿の妙薬があるとされる蓬莱山であり、ここでは【不老岩(ふろうがん)】と名付けている。また不老岩の上には穴のあいた石があり、これは【桃燈石(ちょうちんせき)】と呼ばれている。
池泉手前の平地は苔庭で飛石を打っている。池泉の水源のおかげだろうか、苔の状態は極めて良好である。また、滝が池泉に注がれているところから右手に目を向けると、小さな滝石組のような意匠を確認できる。
こちらが小さな滝石組である。小振りな出島を含め苔むして風合いが素晴らしい。
庭園東部には露地門と思われる門があり、その先には茶室があるのだろうか。
手水鉢は水琴窟となっており、明治時代後期に松尾流九代・松尾半古と慈恩禅寺の修行僧が山から石を運び設置した。
中庭には枯山水があり、こちらも昭和50年頃(1975年頃)に作庭されたものである。私の推測では、鶴亀石組になっている。
こちらが亀石組。右手の長石が亀頭石で、盛り上がった石が亀甲石である。
亀石組と向かい合っている鶴石組。中央の岩が鶴の胴体。その左右の石が鶴羽石、そして先端の小さな石が鶴首石と推測した。
名園が少ない岐阜県に、このような見応えのある寺院があったことに驚いた。紅葉シーズンに限らず、オールシーズン満足できる庭園だろう。
○ | 猛暑で苔の育成が難しいなか、苔が極めて良質である。また書院の鑑賞場所を変えることで、見える光景が大きく変わり楽しい。 |
× | 書院で流れている音声解説のノイズがひどく、聞き取りにくい。 |