皆春荘
かいしゅんそう
大正時代の総理大臣・清浦奎吾(きようら けいご)の別宅として明治40年に建築。その後、隣接する第3・9代総理大臣・山縣 有朋(やまがたありとも)の別荘「古稀庵(こきあん)」の別庵として編入。庭園の設計は無鄰菴(京都)やホテル椿山荘東京を作庭した山縣と伝えられる。2018年11月より一般公開。
総理大臣の別荘や隠居が多く残る小田原。こちらも総理大臣の別邸が成り立ちであり、設計は無鄰菴(京都)やホテル椿山荘東京を作庭した山縣 有朋(やまがた ありとも)であり、山縣も総理大臣経験者である。各部屋からは箱根山を借景にした庭園を楽しめる立地であり、かつては相模湾も眺められたとのこと。
実際に訪れてみると、ほぼ芝生しか見当たらない退屈な庭園というのがファーストインプレッション。ただ、山や川の流れなど自然の造形をそのままに表現する山縣 有朋流の庭園がみられる。流水のために水源を開き、庭園の北東に滝石組を組み、南西にかけて遣り水を造っている。山縣流の庭園の最高峰は、なんといっても京都の無鄰菴(むりんあん)だろう。
現在は水は涸れた、枯滝石組となっていてる。この写真が枯滝石組であり、青ラインが水の流れである。
滝石組を通過して、中島で一度二分され南西へと繋がる。
このように南庭を蛇行しているが、8月に訪問したこともあり、草木が伸びきり庭園の魅力は失われていた。
枯流には、流れを分流する水切石を据えている。
正面にみえるのが皆春荘の玄関であり、建物内部への立ち入りはできない。右手の路地を進むと庭園へと繋がる。
別荘の門から階段を登って皆春荘へ向かう。巨石と玉石と苔がバランスよく配置されている。
皆春荘の案内図。滝石組と流水の位置関係を分かりやすいように加筆。
○ | 別荘門からのアプローチが美しい。 |
× | 草木が伸びすぎていて庭園の魅力が半減している。 |