清洲城は織田信長の居城でもあり、「桶狭間の戦い」へ出陣した拠点でもある。江戸時代に徳川家康の命によって、名古屋へ遷府された江戸初期(1613年頃)に廃城となる。現在の清洲城は、平成元年(1989)に町制100周年を記念して建設されたものである。敷地内の枯山水は岡田憲久(のりひさ)によって作庭された。
清洲城は東海エリアでは知られたお城であるが、枯山水も楽しめるスポットとしてはあまり知られておらず、愛知県西部は庭園が少ないエリアでは貴重な庭園のひとつである。
作庭家は岡田憲久であり、本記事執筆時に初めて知った。ランドスケープ・庭園の設計事務所「景観設計室タブラ・ラサ」を主宰しており、専修寺(津市)の庭園改修や、蓑虫庵(伊賀市)、中部大学の工法庵・洞雲亭などに携わっている。
お城と石庭の組み合わせといえば、国指定名勝「岸和田城 八陣の庭」が、庭園界では有名である。ということは・・・
岸和田城同様に天主閣より石庭を見下ろせるように作庭されている。中央に据えた天を突くような立石を取り囲むように8つの石が配置されているのは、岸和田城 八陣の庭と同様である。つまり三国志の諸葛孔明(しょかつこうめい)の「八陣法」をイメージしていると考えられる。「八陣法」とは大将を中心に8種類の部隊を配置する兵法である。
天主閣からは新幹線の往来も眺められ、また新幹線からは清洲城も眺められる。ちなみに歴史的には「天守閣」との表記が主流だが、織田信長が安土城で「天主」という表記を用いたことにちなんで、清洲城では「天主閣」と表現している。
シャチホコ越しに名古屋駅方面を望む。夜間開館されていれば、夜景も美しいだろう。期間限定で開催されないだろうか。。。
石庭の北側には芸能文化館(御殿)があり、御殿にも枯山水を設けている。
こちらが芸能文化館(御殿)の門であり、左手には水琴窟を設けている。
御殿西側に枯山水が広がるが、これより先は立ち入り禁止となっている。
そのため、清洲城の入口付近から生垣越しに撮影。
こちらは信長塀と呼ばれるもの。1560年に織田信長が桶狭間へ出陣の途中、熱田神宮に戦勝を祈願し、大勝した御礼に奉納された塀をモデルにしたものである。
| ○ | 三国志の諸葛孔明(しょかつこうめい)の「八陣法」をイメージした石庭を地上と天主閣の二視点から観賞できる。 |
| × | 特に見当たらない。 |