明治11年(1878)に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が荒廃した邸地を取得し、社員や貴賓を招待する場所として造園。弥太郎は大名庭園を目指して、京都の茶人・磯谷宗庸によって作庭され明治24年(1981)に完成。昭和7年(1932)に当時の東京市(現東京都)に寄付し開園
都心にある大名庭園で、石の美しさを最も感じ取れるのが清澄庭園。石に注目してレポートしていこう。
まずは清澄庭園を象徴する大磯渡り。ここにはある工夫が隠されている。北側には各地の名石が組まれ、南側には壮大な池泉庭園が広がり、歩を進める度に景観が交互に変化するように石が配置されている。
左手には伊予青石の立て札があるが、注目すべきは池泉に立てられた青石による立石である。実に上品で美しい。このように池に特に高い石が立てられたものを「池中立石(ちゅうりっせき)」と呼ぶ。
池中立石の隣は紀州青石で組まれた集団石組である。水際にあるため荒磯(ありそ)を表現したのだろうか。荒磯:荒々しい磯場。水際に作られることが多い。
中の島から鶴島を望む。大名庭園だけあり鶴島の規模も大きい。大名庭園:江戸時代に各藩の大名が築造した庭園
私が清澄庭園でハイライトと考えるのが枯滝石組である。対岸から眺めないと滝に見えないため、ほとんどの方が気づかず通過してしまう。水の流れを丸石で表現し、滝石組の中央には三尊石風に石が組まれている。借景となる築山は富士山を見立てており、サツキやツツジの植栽を数列に配して、富士山にたなびく雲を表現している。
枯滝石組に設けられた沢飛石から眺める。紀州から運ばせた青石がひときわ存在感を放つ。
枯滝石組を横から眺めてみる。三尊石風の青石は横からみると薄く、華奢なイメージだ。
磯渡りを散策する女性を焦点距離200mmで撮影。
沢飛石と八ッ橋により構成された磯渡り。八ッ橋:橋の種類のひとつで、複数の板をジグザグにした形状を表す。
凛とした雰囲気を醸し出す石橋。枯滝石組、大磯渡りに続く清澄庭園のみどころだと感じる。
船着石で遊ぶ親子。江戸時代はここから舟にのって庭園を回遊する池泉舟遊式庭園であったことがわかる。
こちらの写真は2017年6月10日にパステルカラーの清楚な姿に惹かれて撮影した1枚。あじさいの咲く時期に訪問すると、庭園に紫色や白色の差し色が美しい。
清澄庭園の案内図。パンフレットより引用。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 都内では見応えのある庭園のひとつ。特に富士山を見立てた築山を借景とした枯滝石組の意匠は素晴らしい。また大磯渡りにある池中立石や集団石組も見逃せない。 |
× | 都心の庭園では、なかなか避けられない「借景にビルが顔を覗かせる問題」。 |