金福寺は平安時代(864)に天台宗として創建した寺院。その後荒廃するが江戸時代(1688)に再興して臨済宗南禅寺宗派に改宗。当時の住職と親交のあった松尾芭蕉が風流を語り合った草庵は「芭蕉庵」と名付けられる。庭園は昭和に植木職人7代目・小川治兵衛(通称、植治)によって手掛けられている。
詩仙堂から徒歩5分ほどの距離にある金福寺は、松尾芭蕉や与謝野蕪村とゆかりのある寺院だ。庭園のある寺院としては知られておらず、書院南庭にシンプルな白砂式の枯山水があるのみだ。
金福寺のビューポイントは書院からではなく、書院を左手に眺めるポイントがお薦めである。正面に白砂、築山とサツキの刈り込み、そして三段の生垣という構成が美しい。
書院から白砂式の枯山水を眺める。築山を登っている石段に沿って生け垣を設け、その奥にも植林していることで緑の奥深さを演出している。また築山に植えられたサツキの刈り込みに、一石だけ石を立てている。
望遠レンズで撮影してみる。遠山石であるのか、意図は不明であるが、刈り込みから僅かに顔をだしており、岩肌の風合いも良い石である。
本庭園は無鄰菴や平安神宮神苑などを作庭した小川治兵衛(通称、植治)によって手掛けられているが、植治の作品で枯山水は珍しく、また枯れ流れなど水流を表現していない唯一の庭園ではなかろうか。
三段刈り込みの間には延段で苑路を設けている。
築山を登って行くと芭蕉庵がみえる。芭蕉庵と名付けられてから85年後に与謝野蕪村が訪問したときに荒廃しており、芭蕉を敬慕していた蕪村は芭蕉庵を再興させた。
芭蕉庵は令和元年(2019)に修繕工事が行われてた。
茶室となっており見晴らしが良い。
芭蕉庵を取り囲む生け垣も美しく整然としている。
芭蕉庵から少し登って行くと展望所がある。正面には嵐山方面の山並みを望め、年末ということもあり雪化粧していた。
庭園に続く延段は切石と自然石を複合した「行」の延段。金福寺では生け垣と延段にも注目して拝観したいところだ。
○ | 芭蕉庵に向かって造られた三段の生け垣が美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |