平安神宮とは、794年に平安京を創始した桓武天皇と、平安京最後の孝明天皇を祀る。神苑は、平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895)に植木職人7代目・小川治兵衛(おがわ じへえ) 通称、植治(うえじ)にて作庭。国指定名勝に登録されている。
平安神宮神苑は平安時代の庭園と思われがちであるが、明治時代に作庭されたお庭である。南神苑、西神苑、中神苑、東神苑に分かれ、ハイライトは写真の東神苑となる。東山のひとつ将軍塚のある華頂山を借景にして、橋殿(はしどの)の中央には泰平閣が美しく控えている。橋渡:屋根付きの橋
作庭は、植木職人7代目・小川治兵衛(おがわ じへえ)であり、屋号の「植治(うえじ)」と呼ばれることのほうが多い。無鄰菴(むりんあん)などを手掛けた明治時代を代表する作庭家である。栖鳳池(せいほういけ)には、鶴島と亀島が造られている。角度を変えて撮影すると、、、
このようになっている。案内図を見なければ、鶴島と亀島の区別が付かない。
橋殿から額縁庭園を撮影。左が亀島で、右奥が鶴島となる。刈込みを最小限にして、石組と松を主体としたほうが力強く美しいものになると感じた。
橋殿。左手は平安神宮会館前に隣接した庭園である。
平安神宮会館前に隣接した庭園には、2ヶ所の中島が造られ切石で繋がれている。
別角度から撮影。
中神苑へ移動。二ヶ所目の見どころとなる臥龍橋。橋と記載されているが沢飛石であり、安土桃山時代の三条大橋と五条大橋に使われていた橋脚を利用して沢飛石として再利用している。
沢飛石はリズムを付けて左右に折れており、歩を進めるたびに視界に入る景観が変わっていく狙いと、沢飛石自体の外観の美しさを兼ね備えたものだろう。
最後の2本は、五条大橋の橋桁と称される短冊形の切石によって中島に誘われる。
東神苑(左奥)から中神苑(右前)へと繋がる流れ。川底に玉石が敷き込むことで、心地良いせせらぎの音が聞こえてくる。
小滝のある西神苑には、中島があるようにみえるが、
実は出島である。平安時代の摸した庭でありながら、繊細さや、豪壮さが弱い江戸中期以降の庭園となっている。「名園の見どころ 著:河原武敏」では、明治時代には、まだ平安時代の庭園の研究がなされなかった言及していた。
平安神宮神苑 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 屋根付きの橋「橋殿」から庭園観賞できる貴重な神苑。 |
× | 平安時代を感じさせない、やや大味な造形となっている。 |