功山寺
こうざんじ
功山寺は鎌倉時代後期(1327)に臨済宗の長福寺として創建された。その後、曹洞宗に改宗して江戸前期(1650)に功山寺と改称。江戸末期(1864)に書院庫裏が建築され、庭園もその頃に作庭されたと推測する。
美しい苔庭を楽しめる功山寺。2020年頃より有料エリアの撮影は禁止となっているが、今回は住職に特別に許可を得て撮影させていただいた。起伏のある野筋に豊かな苔が広がっている。
別角度から石橋を撮影。
苔の池泉観賞式庭園は七卿潜居の間(しちきょうせんきょのま)に面している。七卿とは長州藩士らとともに京都から追放された7人の公卿(くきょう、いわゆる貴族)であり、そのうち5人の五卿が本書院に潜居していた。
七卿潜居の間からの眺め。池泉は心字池で東西に穿っている。
まるで山奥に足を踏み入れたような美しい苔庭だ。
西部から石橋を眺める。
池泉西部。飛石の先にある礼拝石の先には、池泉に石を沈めた沈下石がみつかる。パンフレットには築山を覆うようなツツジで彩られた「つつじ山」が掲載されていたが、現在はツツジは少なくなっている。
七卿潜居の間からの眺め。
茶室からの額縁庭園。
住職のご厚意で拝見させていただいた法堂と仏殿の間にある石庭。
津軽の大石武学流庭園を思い起こすような巨石による手水鉢。
三尊石風に組まれた石組。
功山寺案合図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 美しい苔庭と室町時代を思い起こすような石橋が印象的。 |
× | 特に見当たらない。 |