明々庵
めいめいあん
江戸時代(1779)、松江藩主にして茶人であった松平不昧公(ふまいこう)によって立てられた茶室。その後、東京に移されたが、昭和41年(1966)に現地へ移築された。
出雲そばを愉しんだあとは、久々の露地を訪問。露地とは茶室に付随した茶庭のことであり、こちらは露地と枯山水に分かれた庭園になっている。露地門手前が枯山水になる。
抹茶が頂ける百草亭前には、白砂と飛石によるシンプルな枯山水。
飛石の分岐点となる延段は、切石と自然石をミックスした「寄せ石敷き」となっている。さらに説明すると、切石のみで構成された延段を「真」、自然石のみを「草」、ミックスしたのを「行」と表現する。これは書道の「楷書(真書)」「草書」「行書」に習うものであり、写真の延段は「行の延段」と言い表せる。
昭和になって移築された明々庵。
露地の近くには、写真の▼マークに石造りの手水鉢(ちょうずばち)がある。手水鉢は、隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるため造られることが多い。A、B、Cの石の表面は平であり、これには役割がある。Aは湯桶石(茶室で使う湯桶を置く石)、Bは手燭石(夜の茶会で使う手燭(てしょく)という明かりを置く石)、そして両手が空いた状態でCに本人が立ち手を清める。この4石をまとめて蹲居(つくばい)と呼ぶ。
茶室特有の小さな客の出入り口「にじり口」。将軍であれ、茶室では刀を外して、頭を下げ膝をつき中へと入り、茶室では全ての人が平等であるという千利休の茶の湯の精神から考案されたものである。
明々庵と、にじり口。5分ほどで見学できてしまう露地と枯山水である。
松江城ビューポイントのひとつである城見台 。こちらは明々庵の受付手前にあるため、無料で見学できる広場である。
○ | よく整備された露地と枯山水。松江城を目線で愉しめる穴場スポットでもある。 |
× | 日本庭園にそれほど興味がない方には、もの足らないだろう。 |