近江商人であった松居久右衛門の本宅「松樹館」が江戸末期(1814)に建築。2021には国の登録有形文化財の指定を受け、令和5年(2023)には松樹館と松樹館庭園が一般公開された。公開にあたっては「教林坊別院 マーチャント ミュージアム(商人記念館)」という名称で公開。庭園は生涯で527ヶ所の庭を造ったと伝わる江戸末期から明治初期の作庭家・勝元 鈍穴(かつもと どんけつ)によるもの。
2023年4月に一般公開された「教林坊別院 マーチャントミュージアム」。こちらでは一般公開に合わせて新たに取り付けられた猪目窓(猪目書院窓)が有名で、写真の様なハート形の窓を撮影できインスタなどで人気になっている。この撮影場所について記事後半で紹介。
大正時代には久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)は宿泊しており、上段の間も残されている。そして、この上段の間への立入りが許されている。
国登録記念物に登録された松樹館庭園。長浜出身の作庭家・勝元 鈍穴によって作庭され書面には春日灯籠、左手には雪見灯籠を設けている。庭園内は立ち入りできないので詳細を確認できないが、鞍馬石の井筒から湧水が流れを作っている。
こちらの手水鉢は建物を囲む柵を再利用したものだろう。施設の管理人に伺うと、本庭園は現住職が15年前から修復と整備を行っており、まだその途中段階にあるとのこと。
久邇宮朝彦から拝領した一文字手水鉢。この一文字手水鉢は、いくつかの庭園でもみられ有名庭園でいえば智積院(京都)が挙げられる。
一文字手水鉢から庭園を望遠レンズで撮影。左手に枯滝石組を作っている。
先ほどの枯滝石組から枯流れを設けて一文字手水鉢へ導いている。
続いて奥庭へ移動。こちらには3つの見どころがあり順に解説していく。
まずは少し下がったところに手水鉢を配置した「降り蹲居(つくばい)」。蹲踞とは茶の湯を汲み取ったり、手を清める手水鉢の両側に桶や明かり取りを置く役石を置いたものである。ちなみに「降り蹲居」の最高傑作は、京都にある興聖寺(織部寺)だ。
庭奥には左手には溶岩石で築山を築き、右手には太湖石を置いている。
太湖石(たいこせき)とは中国庭園で好まわれ、凹凸のある独特な石灰石である。そしてこの太湖石で陰陽石としている。陰陽石とは男性器と女性器を模した石のことであり、子孫繁栄を願った石組で武家の庭園や大名庭園などでよく見られる。
再びた猪目書院窓。上下対象のなんとも不思議な写真は、次のような仕掛けである。
手前にある鏡面テーブルを使ったものであり、いわゆるリフレクションを狙ったものだ。スマホであれば比較的容易にリフレクション撮影できるが、レンズの大きい一眼レフやミラーレスカメラだと撮影が難しい。私は超広角レンズでテーブルから少し手前側で撮影してトリミングしている。ちなみにリフレクション撮影の火付け役でもある「床もみじ」の撮影スポットとして有名な寺院「瑠璃光院」(京都)を参考にしたものだろう。
ちなみに書院ではハート形の窓を時折遭遇するが、これはハートをイメージしているのではなく、猪の目を模した「猪目窓」だ。ただ、本書院では窓は近年設置されたこともあり、ハート形にかなり寄せている。ちなみに猪目窓の模範的なデザインは地蔵院(竹の寺)で見学できる。
○ | 井目窓に目を奪われがちであるが、降り蹲居や太湖石による陰陽石など庭園要素が多くあり見応えがある。 |
× | 上段の間に隣接した庭園は建物内からだと奥が見えにくく、「鞍馬石の井筒から湧水が流れを作っている」という解説を実物で確認できない。 |