旧中西家住宅は江戸後期の大庄屋であり、平成19年(2007)に吹田市に寄贈。吹田吉志部文人墨客迎賓館とも呼ばれ、江戸時代に栄えた中西家の暮らしぶりがうかがえる建築物である。庭園は中西家の建築された江戸後期から明治33年(1900)までの間に完成。また主屋前の枯山水は昭和の終わりから平成にかけて作庭されている。
旧中西家庭園は事前予約で見学できる。ちなみに旧中西氏住宅は大阪府守口市にもりぐち歴史館「旧中西家住宅」が同名で存在するため注意が必要。主屋前の枯山水は昭和後期から平成にかけて作庭された近代庭園であり、伊予の紫苑石が使われ、白砂は白川産である。
ガイドによれば中央の主石は主人を表し、中西家の家族を表しているとのこと。この説明を聞くと、山口県周南市にある漢陽寺の「地蔵遊化の庭(じぞうゆうげのにわ)」を思い出した。「地蔵遊化の庭」は、地蔵菩薩が子供と遊戯する様を表した枯山水である。
国登録記念物(名勝地)されている庭園は、東庭園と西庭園に分かれており、こちらの東庭園は地面を掘って造った枯池が特徴である。ガイドの配慮により、枯池に立ち入らせていただき、撮影を行った。
崩石積護岸(くずれいすづみごがん)の枯流れ。
東の庭園から西の庭園へ向かう中門。
西の庭園を入ると、まず茶室のある露地へと導かれる。こちらは茶会に招かれた客人が主人の迎えを待つ腰掛待合。
腰掛待合の足下には、霰(あられ)こぼしが施されている。細部にこだわっており、本庭園で一番感銘をうけたポイントである。
腰掛待合から茶室「喜雨庵」へ。飛石は立派なもので、石橋を経て露地門へと続いている。こちらの茶室は抹茶用であり、煎茶用は別室となっているとのこと。このように抹茶用と煎茶用で分かれているのは初めて聞いた。
露地門の先には蹲踞(つくばい)を設けている。
西の庭園。離れ座敷前に枯池を設けている。青石の石橋が立派であり、右手には沢飛石がみえる。
この沢飛石は丸石となっており、一番奥には臼石を利用している。このような再利用は日本庭園ではよく見られる。
玄関棟には立派な沓脱石が置かれ、蹲踞へと続く。また、灯籠の意匠もあまり例を見ないものだ。
再び東の庭園へ。事前予約制であり、水曜日・土曜日・日曜日は建物の見学もできる。今回は庭園のみの公開日に予約をしたので、次回は建物の見学できる曜日に訪問したいと思った。なお当日の見学者は年末の平日ということもあり私だけであった。
旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)の案内図。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 地面を掘って造った枯池と崩石積護岸の枯流が特徴でありつつ、露地の霰こぼし、主屋前の枯山水も美しく見応えある。 |
× | 特に見当たらない。 |