観音院の本寺でなる中山寺は、聖徳太子の創建と伝わる寺院である。庭園は寺伝では江戸初期(1606)に武将・片桐且元(かつもと)が中山寺再建の奉公中に作庭したと伝わる。ただ中山寺千年会会長の資料では、あくまで寺伝に基づくものとして、1630年前後に作庭されたものと推測している
中山寺観音院の庭園は一般公開されておらず、電話で庭園見学の相談をしたうえで、特別に拝見させていただいた。書院の南側から東側にかけて庭園が広がるが、江戸時代の庭園は写真の南側である。
お寺の方に頂いた資料を基に図解。中央に亀島、左手に鶴島を設け、奥に枯滝石組がある。
亀島と枯滝石組。亀頭石は既に失われているが、中心石は二石で構成された珍しい形式である。
東部の出島付近の石組が鶴島として組まれており、右手の築山まで鶴石組を兼用している。
石灯籠。
書院東側を撮影。作庭時期は未確認であるが、石が異なり、風合いも新しさを感じるため作庭時期は南側より新しいものだろう。ただ比較的に類似したデザインであると感じられた。
こちらは亀島のようにみえる。右奥に亀頭石、左手前に亀尾石と推測した。
亀島と推測した石組の左側は、鶴島だろうか。築山の頂部に羽石を置き、左に置かれた伏せ石が鶴首石、もしくは鶴尾石だろうか。
書院をぐるりと囲むように飛石を打つだけではなく、軒下にも飛石風の意匠を施している。
室内からの様子。庭園内には立ち入りはできない。
中山寺の五重塔は青龍塔と呼ばれ、全国でも珍しい青色になっている。これはこれは仏の智恵と、東西南北を司る四神のうち東方を司る青龍をイメージしているとのこと。
お寺の方に頂いた資料 [ 案内図を拡大する ]
○ | 江戸初期の手法である鶴島と滝石組を兼用した石組が見られる。 |
× | 特に見当たらない。 |