室町中期(1501)に飯能で大きな勢力をもった中山家勝が、曹洞宗の名僧を招いて小さい草庵(そうあん:小屋)を開いたのが始まり。家勝没後、子の中山家範が父の菩提(ぼだい:仏)を弔うため本格的な寺として創建。本堂北庭には池泉鑑賞式の蓬莱庭園がある。
まずは能仁寺の本堂を眺める。
能仁寺は自由に参拝できるが、庭園を眺めるには300円が必要。まずは大書院から庭園を眺める。こちらはメイン庭園「池泉鑑賞式の蓬莱庭園」ではない。
飛び石の先に立派な石灯籠が控えるが、庭園内は立ち入りできない。
大書院の大広間から庭園を眺める。
能仁寺の本堂北側にやってきた。白壁の土蔵がみえる。
こちらが能仁寺庭園である。池泉鑑賞式の蓬莱庭園であり、築山、亀島、鶴島、石橋を備える。
山畔に沿って豪壮な枯滝石組を組んおり、本庭園で素晴らしい意匠と考えるところだ。ただ、黒松により枯滝石組の視界を一部遮っているのが残念。
夜景スポットでもある天覧山の急斜面を巧みに取り入れることで、立体的な庭園を生み出している。また、飛び石の周りを大きめの玉石を粗く敷いた敷石「霰崩し(あられくずし)」が施された意匠が凝らされている。
庭園を眺める女性。ちなみに、本堂や大書院の廊下はよく磨かれ手入れが行き届いている。フラッシュを利用したようにみえるが、暗めに撮影して暗部を引き上げるレタッチ処理で、自然な様子を再現。もちろん一眼レフやミラーレスを利用したRAW画像であることが大前提。
枯滝石組の右手、山裾下に洞窟石組があるのが分かるだろうか。望遠撮影してみると、、、
このようになっている。洞窟石組とは蓬莱神仙思想による蓬莱石組のひとつである。形状は護岸に二石の支え石をいれ、その上に板状の石を被せた石室形式である。(出典:古庭園の観賞と作法手法 著:吉田徳治)
能仁寺庭園と土蔵を眺める。奥行きと立体感ある庭園であることが分かる。
最後に、大書院の大広間越しに石灯籠をメインに添えた額縁庭園を撮影して、能仁寺を後にする。
○ | 天覧山の斜面を活かした立体感と奥行きのある庭園は、関東近県ではあまり見られないタイプである。 |
× | 見応えのある枯滝石組が黒松により見えづらい。 |