大友氏館跡庭園は平成10年(1998)の発掘調査時に発見され、令和2年に一般公開された復元庭園である。室町時代に戦国大名であった大友義長(よしなが)の時代に作庭され、大友氏最盛期となる江戸初期の大友宗麟、大友義統の頃に現在の復元された形状に改修された。平成13年(2001)に国指定の史跡に登録される。また2030年には大友氏館跡の建築物が再現される予定だ。
大分駅から徒歩圏にある室町時代の復元庭園。発掘調査で見つかった遺跡を保存しつつ復元させたもので、同様の事例では奈良市にある平城京左京三条二坊 宮跡庭園が有名だ。池泉の東西で異なる景色を生み出しており、まずは西部からみていく。
池泉の南部には、石を敷き詰め汀を美しく魅せる洲浜を造っており、池底にも石を敷いている。また芝生の部分は当時は土や石であったが、現在は維持管理のため芝生となっている。
南滝と水分石。館の外側から導水する滝とのことであるが、一般的な滝石組はみあたらない。ただ水が流れでいく先に、水流を左右に分ける水分石が滝石組の面影を残している。
西池と東家を分離する出島周辺。これまで800ヶ所ほどの庭園をみてきたが、そのなかでも複雑な曲線をもつ池泉であり美しい。奥にはJRが走っているのも。時代を超えたミスマッチで面白いものだ。
東池。白い石は本物の景石から造り出したレプリカであり、黒色の景石は実物である。レプリカを造る際に使った本物の景石は、遺跡保護のため、同じ場所の地下50cmに埋め戻し保護土で覆われているとのこと。
東滝。
東滝は客人が来たときだけ水を流していたとのこと。井戸の水を水槽にため、お客様が来たときに、その水槽の栓を抜いて、溝や竹筒などを使って水を流したとされる。それが再現されているような作りになっている。
東池の全景を眺める。
東池をクローズアップ。
西池と東池を仕切る出島周辺。
手前が西池、奥が東池であるが、東池のほうが洲浜に使っている石が大きくなっている。このような復元庭園を遠方から訪れる人は少ないが、とても価値ある庭園で貴重だと思う。
大友氏館跡庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 石組などは少ないが、複雑な形状をした東池と西池で構成された地割りはとても美しい。2030年に復元される建築物も待ち遠しい。 |
× | 周辺にマンションや商用施設が入り込んでしまうこと。 |