江戸後期に活躍した歴史家・頼 山陽の資料館で昭和10年に開園。平成7年(1995)に改築され、同時期に足立美術館を手掛けた中根金作により中庭を作庭。
漢学者・文人であった頼 山陽の史跡資料館に、足立美術館を手掛けた中根金作によって作庭された中庭「文人庭」があるのは余り知られていない。受付を済ましてガラス越しに坪庭を眺める。
5石によって組まれた枯山水。狭い空間に縦方向の広がりを演出するために竹を植樹しているようにみえる。また解説によると頼 山陽をはじめとした江戸時代の文人たちは、竹、梅、桐など中国的な趣味に合う植物を取り入れた庭を楽しんだといわれ、本庭園はこうした「文人庭」を紹介するための方向性を示した例であるとのこと。
近づいて撮影。
和室奥の坪庭には、大きな葉をもつ落葉樹のアオギリなどの樹木に景石を配している。4石という縁起の良くない数であり、庭園では通常使われないが、これはおそらく4石組ではなく、1石を四方に配した1・1・1・1の石組なのだろう。
受付を出て無料エリアにある史跡「頼山陽居室」から前庭「文人庭」を望む。
大きな蹲踞(つくばい)。蹲居とは、手水鉢(ちょうずばち)と4つの役石によって構成されたものである。手水鉢は、隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるため造られることが多く、そして夜の茶会で使う手燭(てしょく)という明かりを置く石、茶室で使う湯桶を置く湯桶石、そして両手が空いた状態で本人が立ち手を清めるために立つ場所となる前石で構成されている。詳しくは新潟県新発田市の清水園の記事を参考にして欲しい。
頼山陽居室と文人庭
自然石による敷石「草の延段」。ちなみに切石による敷石は「真の延段」、自然石と切石が混ざった敷石は「行の延段」と呼ぶ。詳しくは長野県茅野市の笹離宮の記事を参考にしてほしい。
○ | 坪庭の枯山水を竹で取り囲むことにより空間の広がりを演出している。 |
× | 庭園はあくまで資料館の付随施設であるため、庭園主体で訪れるともの足らなさを感じる。 |