西應寺のある一帯は、かつて奈良時代に良弁(りょうべん)によって開山された少菩提寺があった。良弁は東大寺を開山した華厳宗の僧である。室町末期に全山が焼失。西應寺はこの地に江戸前期(1683)に創建された浄土真宗大谷派の寺院である。庭園は近江出身の作庭家・山村文七郎によるものであり、祖を勝元 鈍穴とする鈍穴流(どんけつ)の庭園である。完成は昭和61年(1986)。
本庭園の解説の前に「鈍穴流」について説明をしておこう。「鈍穴流」とは江戸末期から明治前期の作庭家・勝元 鈍穴、およびその技術を継承する作庭家による庭を「鈍穴流の庭」と呼ぶ。勝元 鈍穴は、茶道遠州流の中興の立役者といわれる辻宗範の直弟子であり、近江生まれで本地に多くの庭園を作庭。鈍穴流は山村家によって継承され、山村文七郎は山村家の4代目。
西應寺には3つの庭園があり、まずは書院前の枯山水。借景に山を捉え、築山には多くの樹木を植え、高さ10mにもなる十三重石塔が存在感を出している。
西應寺庭園の最も美しい景が、枯滝石組から枯流れで大海へと繋がるところだろう。
湖南市観光協会の公式サイトでは、渓流に架けた上下ちがいの石橋などは「鈍穴流」の特徴とのこと。
ただ樹木がとても多いため、先ほどの美しい枯滝石組と枯流れの存在を弱めている。借景に十分な木々があるので、築山の樹木はもっと間引いたほうが美しさが際だつと思う。
一段高い台地には楼が建立されており、こちらにも枯滝石組が造られている。傾斜を利用した築山も枯滝石組になっているのが分かるだろうか。
枯滝石組から落水した水が枯流れで左へ流されている。
枯滝石組の頂部を撮影すると、実はさらに水路が右手に延びている。
そう、三尊石の付近から水が流れてきているような意匠である。3つ前の写真をよく見ると三尊石の中尊寺石が顔を覗かせている。
最後は池泉観賞式庭園。当初からこの地にあったと思われるような巨石、いや岩が鎮座している。
斜面は集団石組になっているが特段見るべきところはなく、西應寺庭園のメインは枯山水だといえる。
○ | 1つめの枯滝石組と枯流れが美しい。また渓流に架けた上下ちがいの石橋も見逃せない。 |
× | 築山に樹木が多すぎて、石組の美しさを損なっているのが残念である。 |