清涼寺
せいりょうじ
清涼寺は平安時代に創建した浄土宗の寺院である。幾度となく焼失するが江戸初期(1701)に本堂が再建され、霊宝館には釈迦如来像(国宝)が安置されている。境内には江戸時代に作庭された庭園が2ヶ所。小堀遠州によって作庭されたと伝わる枯山水と、弁天堂のある池泉式庭園が残る。
観光客で賑わう嵐山の中心部から10分ほど北に向かって歩けば、人もまばらなエリアとなる。紅葉シーズンでも比較的落ち着いて拝観できる清涼寺には、庭園好きなら誰もが知る小堀遠州によって作庭されたと伝わる方丈前庭がある。一部に低い築山を設けた準平庭式枯山水だ。
小堀遠州は徳川家康に仕えた大名でもあり、千利休に師事した茶人としても知られる。二条城 二の丸庭園など多くの庭園の作庭に携わってきた。著名な庭園と比較すると、本庭園はシンプルもので説明がなければ小堀遠州作とは気づかないだろう。
築山は入り江のようになっている。左手には苔付いた2石による石組も見られる。
出島により入り江ができあがったように思われ、護岸石組は風格がある。望遠レンズで覗かないと細部が見えにくいが、近年のスマホであればズームしながら細部を眺めるということもたやすいだろう。
額縁庭園で切り取られた前庭。右手に先ほどの2石の石組。左に長方形の石を置いている。
名石と思われる石で、本庭園での主石となっている。
大方丈から門に向かって伸びる方形の飛石。左側にも野筋に石組を設けている。
渡り廊下からみた弁天堂。
弁天堂。
10月末で紅葉シーズン前ではあるが、川中島のもみじが色づきはじめていた。中島には忠霊塔が建てられ、その奥には滝を設けている。
望遠レンズで滝を撮影。滝石組というよりかは、段差を使って水を落としているという感じだろうか。
○ | 小堀遠州によって作庭されたと伝わる方丈前庭の入り江の石組が美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |