二条城は1603年に江戸幕府初代将軍・徳川家康が築城し、そのときに二の丸庭園も造られた。1626年には後水尾天皇(ごみずのお)の行幸に合わせて改修。改修は徳川家康に仕えた大名でもあり茶人としても知られる作庭家・小堀遠州(こぼりえんしゅう)のもと、弟子の賢庭らによって造られた。昭和28年(1953)に 特別名勝の指定、平成6年(1994)には二条城がユネスコに登録される。
世界遺産の二条城には、二の丸庭園・本丸庭園・清流園がある。本記事では特別名勝に指定された二の丸庭園を紹介。奥に見える書院が、15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還の舞台となった大広間である。大広間は障子が閉められているが、ここが開放されると大広間から二の丸庭園を一望できる。このように武家の住居と一体となった庭園形式を書院造り庭園と呼ぶ。
大政奉還後に皇室の別邸「二条離宮」となった明治時代に大規模な改修工事がされているが、桃山時代の雰囲気を感じさせる力強い庭園が残されている。この写真には蓬莱島と亀島を撮しており図解すると、、、
このように左の中島が蓬莱島で、右に鶴島がある。亀島は蓬莱島の裏手にあり後ほど紹介する。蓬莱山には不老不死の妙薬があるとされ、鶴と亀は長寿のシンボル。つまり神仙蓬莱思想を表した庭園である。(一部解説では鶴島と亀島が逆に紹介されていることを確認しているが、「日本庭園史体系(著:重森三玲・完途)」、「名園の見どころ(著:河原武敏)」では記事の通りになっている。)
焦点距離120mmの望遠レンズで鶴島を撮影。鶴島および蓬莱島には上品な石橋を架けている。蓬莱島には神聖な理想郷であることから橋を架けないのが一般的であるが、敢えて橋を架けることで意欲的な作品に仕上がっている。また、書院からみて奥に橋を架けることで、池泉を広く見せている。
蓬莱島の北部には羽石のような巨石を組んでいる。このような中島の石組が見事な例としては、鹿苑寺庭園(金閣寺)が挙げられる。このような池泉が広い庭園では、望遠レンズを持参していくと、庭園をより楽しめると思う。
黒書院からの眺め。池泉は複雑な形状をしており、護岸石組も名石揃いだ。右奥の蓬莱島と向かい合う出島のあたりを望遠撮影すると、
このような美しい景が広がっており、奥には石橋も見える。
池泉北部は豪壮な石組を主体としており、記事後半で紹介する南部は丸みのある柔らかな石が主体となっている。NHKでは北部は将軍を意識した造りで、南部は将軍に仕える女性をイメージした作品になっていると伝えていた。
池泉北西部にある二段落としの滝石組で、二条離宮の明治時代に改修されたとのこと。小堀遠州が作庭した当時は、青線に水が落とされていたとのこと。築山の頂部が、二の丸庭園としてはやや物足りない感があるのは、明治時代の改修によるものだろうか。
滝石組を別角度から撮影。
洲浜から続く石組も魅力的で、2ヶ所に象徴的な立石を組んでいる。
池泉南部を撮影。北部と比べると豪壮さは薄れ穏やかな表情をみせている。また池泉には舟石が置かれ、蓬莱山へ妙薬を取りに行く様子を描いている。
出島の先には亀島がある。赤マークのところを別角度で撮影すると、
このような亀島になっており、右の石が亀頭石となっている。ただ、この角度からだと島には見えず、陸続きにみえてしまう。一度でいいから池泉を回遊して、じっくり撮影してみたいものだ。
○ | 城郭に造られた庭園は名古屋城、徳島城など複数あるが、火災などで御殿が焼失しており、二条城は焼失を免れ、御殿と庭を一体的に観賞できる唯一現存する日本庭園。また蓬莱島、鶴亀島、洲浜に据えた石が名石揃いで美しく日本庭園としてクオリティも高い。 |
× | 御幸御殿があった南部からも庭園を観賞したい。 |