青松院は室町後期(1522)に開基した曹洞宗寺院である。荒廃していた庭園を、昭和54年(1979)日本庭園研究会会長も努める作庭家・吉河功(よしかわいさお) 氏によって、室町時代の曲水式池泉をテーマにした庭園を新たに作庭した。
事前予約にて庭園見学できる青松院。3つの庭園が造られており、こちらは本堂北庭となる最も広い松嶽庭(しょうがくてい)。恵まれた雄大な借景、なだらかな築山の左手には主景となる「西の滝」と名付けられた滝石組が控える。
「西の滝」をクローズアップ。三段落としの滝で、鯉魚石もみつかる。つまり龍門瀑(りゅうもんばく)ということになる。分かりにくいので、次に図解してみる。
青色のエリアが「西の滝」であり、中央に囲んである青枠が鯉魚石となる。鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものであり、詳しくは日本最高峰の龍門瀑といわれる天龍寺 曹源池庭園(京都市)の記事を参考にして欲しい。そして、赤で囲まれた岩島が亀島である。
「西の滝」をクローズアップ。公式サイトによると「水墨画的な美しさを持つ巨石と逆くの字形にひねった二段落の滝で主景の一つ。」と説明されている。室町時代の庭園といえば、この時代を代表する水墨家にして、作庭家である雪舟(せっしゅう)を思い出す。
庭園の東部を眺める。こちらも次に図解してみる。
赤いマーカで囲まれたのが鶴島。公式サイトでの解説がないと亀島に見えてしまう。ちなみに二石組みの岩島による鶴の表現は珍しいものとのこと。青いマーカーが「東の滝」と呼ばれる滝石組である。角度を変えて撮影すると、、、
「東の滝」は、一段落としの簡素な滝石組。滝の水を落とす石「水落石(みずおちいし)」をよく観察すると、水の流れを表現した名石であり、これにより落水の美を感じとれる。
「東の滝」の右側には集団石組があり「渦巻式石組」と公式サイトに記載されている。これは須弥山石(しゅみせんせき)と九山八海石(くせんはっかいせき)だろう。中央の立石が須弥山石であり、その周りに「九山八海」を表現する石が渦巻き状に組まれている。仏が住する清らかな世界・浄土の意味を強調した浄土式庭園と考えられる。詳しくは、須弥山石と九山八海石の代表策である北畠氏館跡庭園(三重県津市)の記事を参考にして欲しい。
書院越しに松嶽庭(しょうがくてい)を眺める。中央には須弥山石と九山八海石、左手には龍門瀑、右手には滝石組、そして鶴島と亀島と日本庭園の要素が詰まった勉強になる庭園である。
続いて、新書院北庭にある青龍庭を散策。住職に案内されないと分からない場所にある。
こちらは巨石により三段落としの滝石組が景の中心となっている。こちらにも鯉魚石を据えている。
図解すると、写真下部の青色のマーカで囲んだ石が鯉魚石となる。写真上部の青色のマーカーは、遠くに山を見立て庭園に奥行き感を表現した遠山石(えんざんせき)である。公式サイトで青龍庭を確認すると、龍門瀑には完成当時は水が流されていた。また周辺の刈込みが伸びすぎて、遠山石周辺の石組が隠れてみえない。誠に残念である。
最後に、庫裡南庭となる酬恩之庭(しゅうおんのにわ)。赤松と手水鉢(ちょうずばち)を主体とした枯山水である。また写真右上にある巨石は、添石を組んだ亀形の蓬莱山に見立てたものとのこと。
○ | 日本庭園のあらゆる要素が詰まった松嶽庭(しょうがくてい)は、事前知識をつけて訪れれば、日本庭園の知識が一層深まる。 |
× | 青龍庭は刈込みが伸びてしまい、石組を隠してしまっている。 |