石像寺は飛鳥時代(655)に開基したと伝わる曹洞宗の寺院。裏山には神が宿るとされ信仰対象となる石のことである磐座(いわくら)がある。庭園は昭和47年(1972)に重森三玲によって作庭され、丹波市指定名勝となっている。他にも江戸時代の池泉庭園もあるがメインが重森三玲による石庭であるため、作庭時期は昭和とする。
ひと目見て重森三玲の作品と分かる枯山水は「四神相応の庭(しじんそうおうのにわ)」と名付けられている。四神相応とは、東西南北の守り神であり、青龍、白虎、朱雀(すざく:鳥の神)、玄武(げんぶ)となり、敷地を4分割して四神をモチーフにした石組で構成されている。
まずは玄武(げんぶ)。玄武とは亀と蛇をひとつにしたような生き物であるが、石組は亀をモチーフにしている。この土地で出土された黒石を、若狭湾の黒砂を使っている。
続いて白虎。徳島産の白石で三尊石風に組まれている。奥は後述する朱雀(すざく)であり、まさしく鳥のような造形であり美しい。また竹垣には「四神」との文字が描かれている。竹垣に庭園名を記されているのは、私が知る限りでここだけであり、あまりにも直接過ぎて驚いた。竹垣の奥には借景が続き、見事なロケーションの枯山水だけあり、この文字だけはやや不自然さが残る。
白虎を別角度から撮影。白川砂による白砂敷きである。
続いて朱雀(すざく)。朱雀とは鳥の神であり、両側の巨石は鳥の羽であり、2つ前の写真が最も鳥のように見える。
朱雀を別角度から撮影。
最後は青龍である。徳島産の青石を使い、左の斜めに据えた石が龍の頭となる。その先に岩島は龍が玉を追っている様子とのこと。
青龍を別角度から撮影。
「四神相応の庭」の奥には句碑の庭「霧海の庭」があり、こちらも重森三玲によるものだ。丹波の霧海(むかい)を白砂で表現し、当地をたびたび訪れていた俳人・西山泊雲がいたことから、俳句の5・7・5にちなんで17石を配している。手前から5石で一括り。
左奥が5石、中央の5石と次の写真にある巨石と岩島と伏石で7石になる、
左奥の巨石と左下の伏石で2石。巨石の土台となる石はカウントしないようだ。
続いて、江戸初期に作庭されたとされる池泉庭園である。一見見どころがなさそうにみえるが。。。
滝石組が組まれている、頂部にはやや大きめの遠山石を据えており、白い立石が滝添石となるのだろうか。草木がさらに除去されれば、力強い滝石組が感じされるだろう。
庫裏の奥にも昭和に作庭された池泉庭園があることを後に知った。開放されているか分からないが、次回訪問時は探検してみたい。あと、石像寺の裏山にある磐座も、少し離れたところから確認できる巨大なものだけに、こちらも次回眺めてみたい。
○ | 重森三玲の世界を直球で感じとれる石庭が2つあり、どちらも美しい。 |
× | 竹垣に描かれた庭園名だけが不自然さを感じた。 |