浄土宗の招善寺の創建時期は不明であるが、現在地に移転したのは江戸時代とされる。安土桃山末期には徳川秀吉が、襲来や鴨川の氾濫から市街を守る堤防として御土居(おどい)が作られ、招善寺は御土居を管理していたことから「御土居の守り寺」とも言われていた。庭園は2つあり、一般公開されているツツジの枯山水は昭和(1970年代)に小林造園によって作庭された。また、檀家のみ見学できる池泉庭園は、当初の作庭時期は不明であるが、先代の住職によって昭和(1970年代)に現在の形に整備した。また、お声掛けで見学できる坪庭もあり、こちらは平成17年(2005)に「ミニ箱庭モデル 京都坪庭コレクション」にてプラモデルとしても販売されていた。
本堂前にサツキの刈込みに囲まれた石組の島が複数ある枯山水がある。ご住職に伺うと、昭和になって作庭されたもので、ひとつひとつの石が菩薩に見立てられており、25の石で二十五菩薩を表した枯山水になっているとのこと。
平安時代に浄土信仰が盛んになるにつれて、二十五菩薩の信仰が広まり、浄土宗である招善寺にこのような庭園が作庭されたのだろう。
6月になるとサツキに彩られた美しい枯山水が広がる。
サツキの刈込みは複雑な曲線を描いており、ここまで豊かなシルエットをもつ刈込みの島は珍しい。写真左手にある一番大きな立石が、阿弥陀となっている。
石の数を数えてみたが、確かに25の菩薩石と、1つの阿弥陀石の計26石で構成されていた。
鐘楼から枯山水と本堂を撮影。
住職に特別に見学させていただいたのが、本堂南側にある庭園だ。通常は檀家のみが拝観できるエリアである。
作庭時期は不明であるが、先代の住職によって現在の姿に整備されたとのこと。こちらは池泉庭園になっており、奥には石塔と滝石組を設けている。
滝石組には石橋を渡した玉澗流風の意匠となっていた。玉澗流とは、千利休と師弟関係をもつ上田宗箇(うえだ そうこ)によって作庭されたもので、滝石組の背後に築山を設けて、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。代表例としては、名古屋城 二之丸庭園や、和歌山の粉河寺庭園などが挙げられる。
池泉東部。
さらに驚くことに、招善寺にある坪庭はプラモデルになったこともあることを住職より教えて頂いた。
執筆時に調べてみると、フィギュアなどの玩具の企画・販売を行う「ボーフォード・ジャパン」によって、平成17年(2005)に京都坪庭コレクションのひとつとして、セブンイレブンなどのコンビニで販売されていた。同社は親会社であるゼンリンデータコムに吸収合併され解散し、プラモデルは絶版している。(写真はメーカーサイトより引用)
こちらがプラモデルにもなった坪庭で、蹲踞の奥にある石灯籠は織部灯籠である。織部灯籠とは竿の部分にキリスト像が彫られ、竿上部が膨らんだ形状になっているのが一般的で、もちろん古田織部によって考案された。キリシタン灯籠とも呼ばれ、江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
こちらもプラモデルで再現された坪庭に続く飛石。ちなみに招善寺は新必殺仕事人や遠山の金さんなど、数多くのロケ地として墓地や坂道などが登場している。
○ | 京都市内では珍しく無料で見学できる寺院庭園で、二十五菩薩をイメージした刈込みの美しい枯山水が見られる。 |
× | 特に見当たらない。 |