水前寺 成趣園は江戸初期(1632)に、初代熊本藩主・細川忠利が水前寺に御茶屋を建てたことに始まる。5代目藩主・綱利によって大規模作事が行われ1671年に完成。当時は園内に古田織部の甥っ子・萱野甚斎によって茶亭が複数作られたが、その後、緊縮財政によって取り除かれた。昭和4年(1929)に国指定名勝を受ける。
福岡県柳川市の松涛園、鹿児島市の仙巌園とならぶ九州で3つある大名庭園のひとつ水前寺成趣園。大名庭園とは江戸時代に各藩の大名が造園して庭園で、いずれも広大な敷地をもつ。取材時は雨天であったため翌日にも再取材。そのため本記事には雨天と晴天の写真が混在しているが同時期の写真である。
水前寺成趣園は東海道五十三次の名所が縮景された縮景庭園である。縮景庭園では、広島市の大名庭園「縮景園」も知られている。さて園内を散策しよう。まずは中島に二本の石橋を架け、中島は大きめの石と栗石を混在させた洲浜(すはま)を作っている。その奥には中島があり、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)を摸している。つまり池泉は琵琶湖となる。
見返り通りを歩いて行くと、右手には巨石を用いた護岸石組がみれる。全体的に女性的な優しいパノラマラインをもつ水前寺成趣園で、男性的な力強さを感じられるポイントである。
見返り橋を散歩するカップル。写真奥には稜線が美しい築山連山に注目したい。
水前寺成趣園のアイコンでもある富士築山。もちろん富士山を摸した築山であり、なだらかな稜線がみごとだ。
富士築山を反対側から眺める。
琵琶湖に見立てた池泉に浮かぶ岩島は品格を感じさせるもの。本庭園で最も美しさを感じとれるポイントだろう。また奥にある2つの石橋は記事前半でも触れた石橋で、東海道五十三次の出発点となる「日本橋」である。
中島には沢飛石で繋がっているが、類を見ない長さであるのも特徴である。
水前寺成趣園の鑑賞場である「古今伝授の間」から撮影。茶室にもなっており抹茶を楽しみにながら庭園観賞できる。ここからは、望遠レンズや双眼鏡などで眺めると、このような味わいある光景がみられる。
見返り通りには、縦長の巨石が複数並べられ、「名園の見どころ(著:河原武敏)」によると枯滝石組とのこと。この光景も望遠レンズや双眼鏡がないと確認しにくい。恐らく、江戸時代に藩主が舟に乗って、このような光景を間近で楽しんだのではなかろうか。つまり当時は、池泉舟遊式庭園でもあったと推測する。
琵琶湖に浮かぶ竹生島と富士山を眺める。
「古今伝授の間」は抹茶を頂かなくても自由に出入りできる空間となっている。
最後に望遠レンズで再び富士築山を撮影。築山連山と重なりあって、ひときわ美しい光景を魅せてくれる。
水前寺成趣園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 琵琶湖に見立てた池泉に浮かぶ中島や岩島が美しく、「古今伝授の間」から望遠レンズで眺めた姿は特に絶景。鹿苑寺庭園(金閣寺)の鏡湖池(きょうこち)に似た魅力がある。 |
× | 庭園の背景にマンションが顔を覗かしてしまう。 |