天台宗の門跡寺院である輪王寺は奈良時代に創建。逍遥園は江戸初期に茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)の作庭と伝わる。
日光に江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)によって作庭された庭園があると知り、朝イチに訪れる。ただ、目の前に広がるのは植栽豊か過ぎる庭園で、これが小堀遠州の作品?と思ったのがファーストインプレッション。
焦点距離18mmの超広角レンズで撮影した写真をパノラマでつなぎ合わせる。近江八景の琵琶湖を模したといわれる大池を中心とした池泉回遊式庭園である。
左手に鶴島と亀島をあわせた中島。左手に出島を配している。正面には標高1104mの泣虫山を借景としている。
長崎大学附属図書館に明治時代に撮影された写真を見つけたので、引用させて頂いた。地割こそ維持されているものの、現在と大きく異なる。こちらが本来の姿であり借景も美しい。戊辰戦争後で明治4年(1871)に焼失したこともあり、当時の状態を再現できていないのが実に残念である。
中島の左半分は亀島だろうか。
亀島の亀頭石だろうか。また石灯篭は五層になっており、日本庭園では石組などもそうであるが、永続性を示す縁起の良い奇数が使われることが多い。
庭園西部にある茶室「紫雲閣(しうんかく)」。茶室からは両側に橋が架かった中島を見られると思われるが、立ち入り禁止である。
茶室脇から撮影すると、左の石橋だけが見える。
作庭当初からあった出島(岬)。
切石による石橋を互い違いに架けている。脇に散策路を設置していることから、おそらくこちらも作庭当初からあったものだろう。
池泉に流れ込む流れ。築山には苔むした丸みを帯びた集団石組がみられる。
こちらも苔むした丸みを帯びた石で遣り水を造っている。
逍遥園のなかで美しいと感じたポイント。苔むした巨石が品格を感じさせてくれる。
○ | 苔むした石が多く、苔好きには満足度が高いだろう。 |
× | 当初の庭園からかけ離れたものになっている。せめて中島と護岸周辺のサツキを中心とした植栽を取り除き、小堀遠州の名にふさわしい美しい姿を見てみたいものだ。 |