大麻山神社は平安時代(889)に社殿を建立。947年には尊勝寺(そんしょうじ)を創建し、江戸時代初期には尊勝寺書院に北庭が造られた。明治5年の浜田沖地震によって崩壊し、かつ神仏分離によって尊勝寺は高野山へ、社殿のみを再建して今日に至る。また平成26年(2014)には、現・宮司によって神苑「磐座 磐境之庭」が作庭された。
当麻山の山頂付近にある当麻山神社。元々は寺院庭園であったが、神仏分離によって現在では神社の庭園となっている。
庭園は終日開放されており自由に見学できるが、今回は宮司の計らいで書院からも見学させていただいた。
築山のサツキやツツジは美しく刈り込みがされている。お話を伺うと現在の宮司は京都で60年間も庭師をしていた方であり、ご自身でもメンテナンスできるとのこと。
現在の宮司がメンテナンスされる前の写真を拝見させてもらったが、植栽が多く石組が見えずらくなっていた。その状態を現・宮司によって、大刈り込みで石組主体の庭園に改良している。
築山には巨石を用いた枯滝石組を造り、最上段の2石と中段の右側の立石で三尊石風に組んでいる。また右上には蓬莱石組を設けている。石は当麻山から採取したものであり、丸みを帯びているが強い石を選び抜いている。また写真左下の小さな岩島は、後述するが巨石の一部である。
こちらが蓬莱石組であり中央の立石を蓬莱山に見立てている。蓬莱山とは古代中国における想像上の山であり、仙人が住んでおり、不老不死の薬があるとされている。つまり長寿を願うもので、日本庭園では鶴・亀と共によく見られるものだ。なお本庭園には鶴亀に相当する石組はない。
写真中央に少しだけ頭の出ている石があるが、巨石が地中深くに埋められており、江戸時代からの石のひとつである。枯滝石組、蓬莱石組も当時からであるが、白砂敷き周辺にある石は後世によって置かれたものが多い。ただ、このように少しだけ頭が出ている石は、同じように巨石であり当時のままである。枯滝石組の麓にも同じような石があり、既に写真で説明済みであるため見比べてみて欲しい。
蓬莱石組のあるポイントから庭園を見下ろす。
標高599mの当麻山にある当麻山神社。庭園の奥からは日本海を望めるのも特徴のひとつである。
当庭園は昭和17年に重森三玲によって発見され、滋賀の楽々園のような意匠を思わせるものがあると話したそうだ。確かに築山に枯滝石組を設けて末広がりになる様子が似ている。
書院からの額縁庭園。
こちらは平成26年(2014)に現・宮司によって作庭された神苑「磐座 磐境之庭」である。磐座(いわくら)とは石に神が宿り信仰対象となった石で、磐境(いわさか)とは聖域の結界を表す。磐座と磐境については、倉敷市にある阿智神社の記事を参考にして欲しい。
神苑「磐座 磐境之庭」の野筋に設けた石組。
宮司に是非見学をと案内いただいた石垣。巨石で組まれ見事な弧を描いた美しいものだ。
○ | 当時は植栽で石組が弱まっていたが、工夫された大刈り込みにより石組主体となるようにデザイニングされている。 |
× | 特に見当たらない。 |