臨済宗 南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭寺院である天授庵。創建は室町初期(1339年)であるが、「日本庭園史体系 著:重森三玲」によると作庭時期は鎌倉末期と推定している。その後荒廃したが、安土桃山末期(1602年)に細川幽斎によって中興された。また明治期に当時の住職であった虎山恭宗によって出島付近の改修が行われた。
方丈前庭の東庭と、書院南庭で構成される天授庵。まずは方丈前庭から。こちらは枯山水であり、切石による直線的な飛石の構成は江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州の発案である。つまり、この部分は中興された時代に作られた意匠となる。中興:一度衰えたものを復興
枯山水と苔庭には、天端石を中心に5石で組まれている。
方丈の縁側に腰掛ける女性。
枯山水の白砂は大河を表現している。白砂の対岸は低い苔山、白砂には盛り土した苔島が配置されて、奥の苔島には黒松が植樹されている。
書院南庭に場所を移すと、こちらは池泉庭園となる。西池には蓬莱島が作られ、沢飛石と石橋で繋がっている。比較的丸みのある巨石による集団石組が印象的である。こちらは、明治期に当時の住職によって改修されたところである。
蓬莱島の頂には三尊石、山麓には迫力ある集団石組を楽しめる。
三尊石を間近で眺めてみる。鋭い立石で組まれている。
こちらは通行できない石橋を撮影。とても薄い平石と平石の2石で構成されていて、とても上品さを感じるポイントである。
苔むした大きな自然石による蹲居(つくばい)。柔らかな曲線を描き上品さが伺える。
西池から正面に蓬莱島を望遠レンズで撮影する。中央上部が三尊石となっている。
南庭の東池に架かる八ッ橋。八ッ橋とは橋の種類のひとつで、複数の板をジグザグにした形状を表す。由来は無量寿寺(愛知県知立市)のカキツバタの池にある八ツ橋。現在では、八枚とは限らずハナショウブの池などでよく見られる。写真はないが八ッ橋の先を左に進むと、そこは西池と東池の間に伸びる細長い出島となっている。この出島によって左右の池を区別しているのである。このような細い出島や、出島によって池を左右に区別する手法は鎌倉時代の地割りの特徴でもあり、この地割りが当初から残る庭園の面影となっている。
東池には江戸初期あたりに改修されたとされる滝石組がある。遠くて薄暗いため肉眼ではわかりにくいため、望遠レンズで撮影して明るくなるように画像処理を行った。すると水が岩肌を伝わらず離れて落ちる「離れ落ちの滝」で、滝下には水を受け止める「水受石」があることがわかる。
巨石による集団石組へは沢飛石で渡るが、安全防止のため手すりを設けている。このような手すりを竹とすることで、古庭園の景観を乱さない配慮が良い。
本堂には入れないが、本堂玄関先の土間からは書院南庭を眺められ、望遠レンズを使うことで額縁庭園を撮影できる。
○ | 天授庵は時代によって改修されてきた様子をみていくことができ、鎌倉時代の地割り、江戸時代の滝石組、明治時代の蓬莱山、近代の枯山水と時代の変化による違いを感じとることができる。 |
× | 池泉庭園は植栽により魅力を失っていると感じるところがある。 |