徳川御三家のひとつ紀州藩・紀州徳川家の居城「和歌山城」。昭和20年に爆撃により焼失したが、昭和32年に天守などが再建された。西之丸庭園(紅葉溪庭園)は、徳川家以前の城主であった浅野家の家老・上田宗固による作庭との説もある。西之丸庭園は大正時代に滝の修復などが行われたが、その後放置され荒廃。昭和になって桂離宮や修学院離宮の発掘調査や復元整備を手掛けた森蘊(もりおさむ)によって、昭和45年(1970)から3年かけて復元整備が行われた。昭和60年(1985)に国指定名勝となる。
和歌山城にある無料開放された国指定名勝庭園。鳶魚閣(えんぎょかく)は釣殿(つりどの)風の建築。(釣殿:寝殿造りの貴族の邸宅において池を面して作られた建物であり、釣りを行う場所ではない)。
鳶魚閣(えんぎょかく)と御橋廊下(おおはしろうか)。御橋廊下は江戸時代後期に書かれた図面を元に平成18年(2006)に復元。
鳶魚閣に誘われる飛石。鳶魚閣の窓が開けられた写真を「日本庭園を行く21(小学館)」にてみたが、ネット上には開けられた写真はないため、特別公開などはないものだと思われる。
正面右手に紅葉谷橋が架かり、巨石による滝石組がみえる。石は紀州産の青みがかった緑泥片岩(りょくでいへんがん)が多用された青石であり品格を感じる。
滝石組を撮影。力強い石と柔らかい石が入り交じっている。
正面に紅葉谷橋。まるで深山幽谷を連想させるような光景である。
苑路から堀を見下ろす。右手は先ほど写真で紹介していた滝石組上部であり、緩やかな流れを設けている。
左手に滝石組上部と堀、正面に飛石、そしてさらに進むと右手に滝石組がみえてくる。
こちらが右手の滝石組であり、ここから流れ落ちる水が、先ほど堀に面した滝石組へと繋がっている。
土橋を見下ろす。傾斜地を活用した池泉回遊式庭園であり、大名庭園としてはコンパクトながらも視点場によって大きく景色が変わるため、広さの割に見応えがある。
紅葉谷の上部は、山頂に滝石組から流れ落ちる水路を設けている。
山頂の滝石組は二双滝となっており、滝石組の上部には細い立石を据えている。
和歌山市出身の松下幸之助氏が、昭和48年に寄贈した数寄屋造りの茶室「紅松庵(こうしょうあん)」。貸し切り利用されていないときであれば、有料で抹茶をいただける。
和歌山城の天守を望む。
○ | 斜面を活用した立体的な池泉回遊式庭園。青石を多用した滝石組が力強く、コンパクトな大名庭園ながらも見応えある。 |
× | 特に見当たらない。 |