山崎家庭園
やまざきけていえん
中野区立歴史民俗資料館にある山崎家は、江戸中期(1750)に初代・喜兵衛が質屋から始まり、三代目のときには名主と呼ばれるようになった。茶室や書院は江戸後期(1841)に建築されたもので、昭和59年(1984)に8代目・喜作が現在の資料館を含む土地と建物を寄付して一般公開されるようになった。
毎年春と秋のみ一般公開される山崎家。庭園というよりかは、邸宅に併設された庭だがパンフレットには「山崎家 庭園・茶室の公開」と表記されているので紹介しないわけにはいかない(笑)。
茶室と座敷に導かれる飛石。飛石の分岐点となる大きな平石は踏み分け石と呼ぶ。
赤松越しに二間の座敷をもつ書院を撮影。館長の話では、書院には4代目当主が絵師・雪洞を泊め、無地の戸襖(とぶすま)に絵を描かせたとも推測されているとのこと。
飛石に沿って低い石灯籠が置かれている。
竿にキリスト像が刻まれた織部灯籠。風合いから後世に設置されたものであると思われる。織部灯籠とは、古田織部によって考案された灯籠でキリシタン灯籠とも呼ばれる。江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる石灯籠である。
茶室には炉がなく、茶室の役割というよりかは、役人などの迎賓部屋として使われたものだと考えられている。
民俗資料館から窓越しに山崎家の庭を眺める。通常時期は先ほどの庭に立ち入れないため、このような姿での見学となる。
樹齢500年を越える椎の木(しいのき)がある。椎の木は中野区のシンボルでもあり、多くの添え木で支えされ丁寧に保存されている様子が分かる。
○ | 巨木・椎の木によって覆われた木陰のある邸宅庭園。街中にありながらも、一瞬にした過去にタイムスリップしたような気分を味わえる。 |
× | 庭園目的で訪問すると物足りなさを感じる。 |