臨済宗大徳寺派の塔頭寺院である瑞峯院は、九州のキリシタン大名の大友宗麟(おおとも そうりん)が室町時代(1535)に開山。庭園はいずれも重森三玲によって昭和36年(1961)に作庭された
大徳寺には大仙院書院庭園をはじめ、見るべき庭園が複数ある。そのなかで、常時公開され撮影可能な庭園としてお薦めしたいのが瑞峯院である。庭園好きなら誰も知る日本庭園史の研究家・重森三玲によって作庭された庭園を存分に楽しめる。
まずは「独坐庭(どくざてい)」。石と立石を組み合わせたトビウオのような石組は、東福寺 本坊庭園(八相の庭)と同じ意匠だ。築山の頂には三尊石で組まれた蓬莱山となっている。
天を突くような力強い立石、そのなかで一石だけいまにも折れそうな華奢で薄い立石がある(写真中央からやや右寄り)。正面から見るのとまったく違った様子に驚かさせる。
石組はほぼ直線上に配置されており、高さ10cmはある砂紋も特徴のひとつだ。晴天が続けば週1回、雨天の日は翌日に庭の手入れをしているとのこと。訪問日は前日が雨天であったため、手入れが最も行き届いたタイミングである。
入り組んだ苔と白砂の対比が重森三玲の特長だ。また、生け垣は刈込みで囲まれ、苔の野筋からのシームレスなグラデーションも申し分ない。
苔の野筋に飛石を埋め、茶室「餘慶庵(よけいあん)」へ導かれる。
方丈後庭「閑眠庭(かんみんてい)」。こちらも重森三玲によって作庭されている。
瑞峯院を開山した大友宗麟(おおとも そうりん)が、晩年キリスト教を保護活動などを行ったキリシタン大名であったことより、7個の石の流れで十字架に組まれている。
別角度から撮影。パンフレットにはクロスする部分にはキリシタン灯籠があったようだが、現在では石になっている。
キリシタン灯籠とは、閑眠庭の隣接した坪庭にある灯籠のようなものである。織部灯籠と呼ばれることが多く、数ある灯籠のなかでも独特の魅力を放つ。基礎がなく竿を直接地中に埋め込み、竿の上部にアルファベットの文字が刻まれていることが多い。また「織部灯籠」では、竿下部にキリスト像が彫り込まれていることが多い。これは江戸時代初期にキリスト教禁止令のなか、密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物といわれる。
茶室「安勝軒(あんしょうけん)」。表千家第12代惺斎(せいさい)の好みであり、京都で茶室内部を撮影できるのは珍しい。
○ | 光明院 波心庭と並ぶ、重森三玲による庭園をのんびりと観賞できる穴場寺院だ。 |
× | 特に見当たらない。 |