足立美術館は、地元の実業家であった足立全康(ぜんこう)が横山大観のコレクションをもとに、1970年に創設した美術館である。また庭園は「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作、京都の植木屋にして著名な作庭家・小島佐一、そしてオーナである足立家によって手を入れられたといわれる。アメリカの日本庭園専門誌によって10年以上も日本一に選出されたことで、いまや庭園のほうが有名となり国内外から多くの観光客が訪れる。
いまや庭園では全国区の知名度を誇る「足立美術館」。朝イチから観光バスが訪れ数百人の観光客で賑わっている。写真は足立美術館を代表する1枚である「生の額絵」で、いわゆる「額縁庭園」である。庭園の近景に大木、中景に枯山水、遠景となる借景に山並みが広がる。混雑する足立美術館で窓ガラスに人がいない状態で、このような写真の撮影にはシャッターチャンスを待つ粘りが必要だ。
ロビーから窓ガラス越しに中根金作による枯山水庭を望む。その後、オーナーにより手を入れられ当初の面影が残ってないという説もあるが、芝生に枯れ葉ひとつ落ちていない手入れは見事で美しい。また、白砂の美しさも注目したい。白砂は奥出雲町横田の「横田砂」であり、美しさを保つために庭師により年1回、砂を運び出し水洗いする「砂洗い」を行っている。
望遠レンズで巨石を捉える。足立美術館で最も大きな主石の周りに、いくつもの巨石が組まれている。「生の額絵」のあるポイントから眺めると、主石を中心にした三尊石風に組まれていることがわかる。三尊石:中央に高い主石として中尊石、その両側に低い添石っとなる脇侍石を配した組み方。
ロビー右手を望む。丁寧に刈り込まれたツバキにより巨石の存在が際だっている。また、大海に見立てた白砂に低く据えられた平石、奥に向かって石が大きくなるように組まれ、迫力を感じさせてくれる。
枯山水庭の右手には苔庭が広がる。そのなかで目が留まったのが石橋である。苔島に石を据え、二石の平石が架かる見事な意匠だと感じる。
別のアングルから同じ石橋を眺めてみる。通常、日本庭園では石橋は陸と島、もしくは遣り水などの流れに架けられるが、こちらはそうではない。あくまで景観の美を追求したものだ。
「生の額絵」からガラス越しに庭園を撮影。左手には三尊石風に組まれた石組がわかる。そして注目は右手奥の借景。目を凝らすと山肌からの滝がみえる。
その滝をズームアップすると。これは「鶴亀の滝」と呼ばれ、昭和53年に開館8周年を記念した人工滝である。高低差は15mであり、足立美術館を訪れた観光客を驚かせる景観のひとつである。
続いては、白砂青松庭(はくさせいしょうてい)。右奥には先ほどの「鶴亀の滝」が控える。注目すべきは中景にあたる白砂青松だ。次の写真を見てほしい。
白砂青松(はくさせいしょう)をズーミング。白砂青松とは白砂と青々とした松によって造形したもので、日本の美しい海岸の風景を見立てている。実景であれば美保の松原(静岡)や津田の松原(香川)、庭園であれば後楽園(岡山)にみられる。
足立美術館の「生の額絵」と並ぶ人気ビューポイント「生の掛軸」。滝石組を中心とした池泉庭園、そして植栽、その奥に借景として山並みが広がる。赤いマフラーをした女性が映っているところは、さきほどの「白砂青松庭」を眺めるビューポイントである。生の掛軸を眺めるポイントは行列で長時間待機はできないため、紅葉時期の週末に人が映り込まない状態で撮影するのは不可能であった。
中庭を望む。雄大な枯山水庭に注目が集まるため、中庭を愉しむ観光客は少ない。しかし、観賞用の蹲居(つくばい)をあしらった露地(ろじ)風の中庭は美しく見逃せない。露地:茶室に併設された茶庭。蹲居:隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるために造られていることが多い。
こちらは池庭である。枯山水庭、苔庭、露地風の中庭と比べると見応えに欠ける。おそらく、池庭に設けられた苑路を散策できると魅力を堪能できると思うのだが、この角度からしか眺められず、観賞場によってかわる景の変化を愉しめないので、このように感じてしまうのだろうか。
最後に、「生の額縁」を斜め横から眺めた1枚で足立美術館のレポートを締めます。取材時は最寄りの道の駅で車中泊を行い、開園10分前に現地到着。すると、「清掃中ですが、入館できます」との看板がある次々の観光客が入館していきます。「しまった~」と、、この情報があれば、「生の掛軸」で人が映り込まない写真も撮影できたでしょう。必ず、開園前入館できるとは限りませんが、朝イチで訪れる方は30分前に到着してみるのも手かもしれないですよ。
○ | これほど見事に清掃が行き届いた枯山水、苔庭はこの規模では他になかなか例をみないだろう。庭師の日々の努力を感じる庭園である。また借景に作られた鶴亀の滝は人工ではあるが、実に面白い。庭園好きであれば、必ず訪問したい庭園のひとつといっていいだろう。 |
× | 日本庭園の魅力と考えるひとつ、朽ちた美しさである寂び(さび)を感じられない。作庭家は「昭和の小堀遠州」と称えられた中根金作であるが、美しさとモダンさを求め、作庭後に手を入れられたからだろうか。もちろん否定すべきことではないが、古庭園を求める庭園好きには違和感を感じるかもしれない。 |