聖徳太子によって創建されたと伝わる竹林院。庭園は安土桃山時代に造られ、案内板には「豊臣秀吉が吉野山観桜(1594)で訪れる際に千利休が造築。その後、細川幽斎によって改修。」と記載されているが、千利休は1591年に亡くなっているため、武将であり作庭家でもあった細川 幽斎(ゆうさい)による改修だろう。
聖徳太子が創建したと伝わる竹林院にある「群芳園(ぐんぽうえん)」は、大和郡山市の慈光院庭園、當麻寺 中之坊「香藕園」と並ぶ大和三名園のひとつ。敷地内には創業300年の旅館もあり宿泊者以外も有料拝観できる。
東西に伸びた池泉には亀島と鶴島を配置しており、写真は亀島とその奥に蓬莱山に見立てた蓬莱石を据えている。
亀島を撮影すると、このような複雑な石組になっており力強い亀島といえよう。
陸地にある右側の山形の石が蓬莱石である。「茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録」によると、護岸石組近くに板状の巨石で蓬莱山とするのは桃山時代でよく見られる手法とのこと。また護岸石組には洞窟石組らしきものがある。
3石の岩島と蓬莱山。庭園観覧券の裏面には「池中には七五三の作庭の手法により島が配置」と記載されており、この3つの岩島と亀島と後述すする鶴島で七五三の形式となるようだが、鶴亀島はもっと石を使っており、理解するのが難しい。
3つの岩島と蓬莱山。
池泉西部から撮影。中央にある中島が鶴島であり正面から撮影すると、、、
このように中心石を羽石とした鶴島である。こちらの護岸石組も力強くコンパクトながら美しい。
2つの石で構成された岩島。
二重集団 二重護岸の石組は室町時代の作風であり、別角度から撮影すると
このように二重集団 二重護岸になっていることが分かる。二重護岸の石組としては、滋賀県野洲市の国指定名勝「兵主大社」などでみられる。
池泉には野筋に沿った緩やかな滝石組にも遣水にもみえる水路を造っている。
上部には橋を架けているが落葉により造形が分かりにくい。
吉野と言えば桜であるが、まだ吉野の桜は観たことがない。混雑必至であるが、桜の時期に改めて竹林院 群芳園を見学してみたいと思った。
○ | 大和三名園では、最も見応えある庭園。二重護岸や鶴島、亀島の石組が小さいながらも造形深く優美である。 |
× | 特に見当たらない。 |