創建は奈良時代(756)と伝えられ、庭園は平安時代末期(1153)に整備された。明治には池泉と楼門の間の露地に県道が走っていたが、昭和36年(1961)に県道が池泉の南に移され現在のような静寂な庭園に戻った。
奈良市郊外の忍辱山町(にんにくせんちょう)にある浄土式庭園をもつ円成寺。ここから10kmほど離れたところにも、同じく浄土式庭園の浄瑠璃寺がある。円成寺庭園は、楼門前に池泉があり中島が造られている。
この中島は、このように反橋と平橋が架けられていた。中島の南部には橋台の遺構がみつかります。つまり中島・反橋・平橋を配した浄土式庭園で、橋を渡りきると極楽浄土に辿りつくようになっている。横浜の称名寺で中島・反橋・平橋を配した浄土式庭園がみられる。
中島を北側から眺めると、平橋を支える橋台の遺構がみつかります。左側には石臼型の手水鉢がある。かつては穴を空け噴水となっていたとのことで、当時のものは東京国立博物館・柳瀬分館に移されている。
中島の北側には、亀島のような意匠がみられる。
池泉西側にも中島が配置されている。こちらには当時より橋は架けられていない。
先ほどの中島を池泉北側から眺める。中島の左手には岩島があり美しい。
別角度から眺めてみると、このように岩島に黒松が植樹されている。そして、池泉をよく見てみると3色に分かれている。そう池泉が凍結しているのである。奥が凍結、中間がシャーベット状態、手前が凍っていない状況である。
望遠レンズで捉えると、このようにスケートのリンクのように白色に染まる。年に数日しか見られない貴重な光景に感動。
中島の反対側からも、凍っている様子が分かる。
護岸石組はみられない。ただ、岸に沿って気になるものがある。それは
二列に整列した杭があるが、これは「詰杭(つめぐい)」と呼ばれるものだろう。池の波が直接土手にぶつかるのを防いであり、他には日本最古の公園である南湖公園(福島県白河市)でもみられる。
○ | 奈良県に残る唯一の浄土式庭園を静寂な環境で観賞できる。 |
× | 園内には平安時代に作庭されたという記述だけで、解説がないため事前知識がないと単純な池泉庭園にしかみえない。 |