鎌倉時代(1258)の北条氏により開基。その後、総本山を奈良の西大寺におく真言律宗の寺となる。寺が建立され50年後に朱塗りの反橋が作られ、浄土思想の影響を受け築造された浄土式庭園となる。(開基: 創建時の資金提供者)
2017年12月の訪問時は反橋と平橋は朱色が落ちていたが、2018年11月に塗り直しされ写真のような鮮やかな美しい姿を取り戻した。1枚目の仁王門からの写真が2017年時点の反橋であり、色合いを比べてみるとその違いが分かる。
2回目の訪問時は桜の開花時期で訪問者も多い。それにしても、桜と反橋の色の共演が美しい。
反橋の脇には、風致を添えるための景石が据えられている。ちなみに作庭当初は芝生はなく、汀は石のみで構成された洲浜であり、現在よりもより浄土式庭園らしい姿であった。参考までに作庭当時の称名寺(出典:まちへ、森へ)をご覧ください。
平橋の脇にも景石がみられる。
阿字ヶ池の北西部には、天を突くような立石による岩島(がんとう)を配されている。いわゆる池中立石と呼ばれるものであろう。また、この池中立石は「美女石」と呼ばれている。その謂われは、夕日が落ちる池の美しさに、さる姫君が池に転落した伝説より、そう名付けられているとのこと。
阿字ヶ池を何周か巡り称名寺を後にした。ちなみに、称名寺の西側にあるトンネルをくぐると中世歴史博物館「金沢文庫」がある。綺麗なトイレやレストランもあり休憩に活用したい。
「称名寺市民の森」案内図。ほとんどが森ですね。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 横浜市内でありながら、周辺にビルなどが映り込まない雄大な借景。 |
× | 芝生により洲浜が見えなくなってしまっている。 |