春雨庵は京都・大徳寺の住職であった沢庵宗彭(たくあんほうそう:いわゆる沢庵和尚)が、紫衣事件で山上に流罪となったときに、当時の藩主・土岐頼殷(よりたか)により住まいとして寄贈された住まい。昭和28年(1953)に復元され、山形県指定史跡に登録された。紫衣事件(しえ)とは、徳を積んだ僧侶のみが着ることが許される紫色の袈裟(紫衣)の着衣が、幕府の許可制になったことに反発したことに反発して4名の僧侶が流罪となった事件。
沢庵禅師(いわゆる沢庵和尚)が茶の湯や俳句などを教えていた住居跡が無料公開されている。正面の建物を入口を開けると、沢庵和尚と対面できる(笑)
出羽山上藩 二代藩主・土岐頼殷(よりたか)の東京にある上屋敷にあった江戸中期の石灯籠を平成15年(2003)に寄贈。土岐灯籠と命名された。
こちらの敷地には茶の湯にも精通していた沢庵和尚を偲んで、昭和に茶室「聴雨亭」と「望岳軒」が造られている。
見どころのひとつは池泉に浮かぶように造られた土塀である。囲まれつつも閉塞感が少ない風流な意匠で、私は他に例をみたことがない。
内側から撮影するとこのようになっている。
露地は昭和の造園家・飯田十基(じゅうき)によるもので、「雑木の庭」の創始者として知られる。庇を支える木などに雑木を利用しつつ、蹲踞周辺は雑木林のように木を密集させている。代表作として等々力渓谷 日本庭園が挙げられる。
右手に見えるスペースは、腰掛け待合とよばれるもので、主人を迎えを待つ場所である。
土塀に小さな出入り口があり、額縁庭園風の撮影を愉しむ。
アングルを変えると、このような写真が撮影できる。ちなみに、こちらから車で5分ほどの距離には、沢庵和尚によって作庭されたと伝わる浄光寺がある。見るべき所の少ない庭園ではあるが、ツツジが美しいため開花時期であれば訪問してみると良いだろう。
○ | 「雑木の庭」の創始者として知られる飯田十基の作品がみられる数少ない露地。また、土塀が池泉上にまたがって造られているのも面白い。 |
× | 特に見当たらない。 |