平安時代に京都の守り神二神、東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊(もうれい)」と称される松尾大社は、飛鳥時代末期(701)に社殿が造られた。酒の神としても信仰されている。境内には3つの庭園があり、3つまとめて松風苑(しょうふうえん)三庭と呼ばれる。「曲水の庭」と「上古の庭」はモダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲(しげもりみれい)の遺作として知られ、もう「蓬莱の庭」は長男の重森完途(かんと)によって作庭された。
阪急・嵐山駅から南へ1駅のところにある京都最古の神社である松尾大社には、昭和の作庭家・重森三玲(しげもりみれい)による庭園が3つある。1枚目と本写真は「曲水の庭」と名付けられた庭園。「曲水の庭」とは「曲水の宴」を執り行う庭のことであり、これは平安時代の貴族が杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊ぶ庭のことである。平安時代に京都の守り神二神と称され、松尾大社が最も栄えた平安時代を表現するために本庭園「曲水の宴」が造られた。
大刈込みには、いくつもの青石による石組があり、このような迫力ある三尊石もみられる。
曲水の宴は七曲りしており、右手の渡り廊下からも庭園を眺められる。
神像館に隣接した場所に枯山水がある。2色の白砂が敷かれた三玲らしい意匠であり、薄い平らな立石が特徴的だ。
奥のエリアには立石による三尊石が組まれている。
このように上部から石庭を観賞もできるのも面白い。
続いて2つのめの庭「上古の庭(じょうこのにわ)」へ。こちらはミヤコ笹に無数の青石が組まれている。大昔(上古)には、神社には社殿などはなく、石に神が宿り信仰対象とされ、その石のことを盤座(かむくら)と呼ぶ。松尾大社は松尾山の頂上に磐座(いわくら)が鎮座し、磐座にちなんだ庭園となる。
庭園奥の中央にある巨石2つは松尾大社の御祭神(ごさいじん)の男女二神を見立てて、その周りにある集団石組は、随従する諸神の姿を見立てている。
3つめの庭園「蓬莱の庭」は重森三玲の長男である重森完途によって昭和50年(1975)に作庭された。先ほどの2ヶ所の庭園ルートにはなく、見過ごしがちな庭園。境内にある蕎麦屋近くに入り口があり、「曲水の宴」に入るときに購入したチケットがあれば入園できる。
不老不死の仙人が住む蓬莱山を表現した庭園であり、切り立った立石が無数に配置されている。奥には滝石組がみえ、近づいてみると・・・
このような立石だけで組まれた珍しい意匠の滝石組となっている。ただ、水が流れる装置が目についてしまっているのが残念なところである。
「蓬莱の庭」の北西部には小さな枯山水が造られている。こちらは立石だけではなく、三玲の代表作「東福寺 方丈庭園」で生み出した新しい石組手法である長石を寝かせた意匠が、ミニチュアサイズ感で見られるのも面白い。三玲の遺作にして大作となった名園だった。
松尾大社の案内図(パンフレットより引用)。ちなみに「蓬莱の庭」に面した「茶所」と記載された場所は蕎麦屋であり、ここからは入園券を購入せずに「蓬莱の庭」を窓越しに楽しめる。
○ | 重森三玲の遺作となった庭園であり、曲水の宴、磐座の庭(上古の庭)、蓬莱の庭と日本庭園を象徴する意匠を楽しめるユニークな庭である。 |
× | 蓬莱の庭に常設している照明設備が目立つ。 |