妙成寺は鎌倉時代(1294)に開山した日蓮宗の本山である。江戸時代には加賀藩前田家からの加護を受け、三代藩主利常の母寿福院の菩提寺となる。庭園は書院が建築された昭和初期(1659)と同時期に造築されたとされるが、江戸末期に大きく改修されている。昭和45年(1970)には県指定名勝となる。
書院の前庭として作庭された庭園。作庭された江戸初期は枯山水だったが、江戸末期の改修にて池泉庭園に改修されたと推測されている。
池泉に突き出た三角石が亀の頭に見立てた亀頭石であり、全体として亀出島になっている。また直立するラカンマキを「鶴」に見立てているといわれているが、どの木が鶴に見立てたラカンマキであるか分からなかった。
山畔沿いに石を配置することで、流れ落ちる滝を表現している。分かりにくいため写真に水色のマーカーを引いています。
写真左上に先ほどの滝を表現した階段状の石がある。山畔側の護岸は意欲的な石組で構成されている。意欲的な護岸石組に感じられる要素とは何だろう。ひとつの要素に石に傾斜を設けていることだろうか。右手の立石はやや右に傾斜され、その下部の護岸石組も同様である。傾斜を付けることで石の気勢(力のでている方向)が生まれ、また垂直に立てるよりも傾斜を付けることで視点場によって眺めが大きく変化する楽しみもある。
集団石組から大正時代に建築され令和3年に補修された書院を撮影。
集団石組は鶴亀兼用であり、池泉庭園と枯山水が併用された庭園となる。確証はないが左手の石組が鶴石組と想像。
長石に強い角度を付けた「強角度斜石手法」を多様している。この集団石組をみていると、国指定名勝の旧芝離宮恩賜庭園(東京都港区)にある蓬莱山を思い出す。
反対側から眺めると亀石組の部分が分かる。
こちらが亀の頭を摸した亀頭石となる。
書院の縁側から五重塔を借景にして池泉観賞式庭園を眺められる。写真は逆光となるため五重塔は木々に半分隠れている。
仁王門を望む。左手にある東屋の奥にも枯山水がある。
その枯山水には枯滝石組が残されている。
仁王門右手の池泉庭園。
北陸唯一となる五重塔。
○ | 鶴亀兼用の集団石組、山畔に階段状の石を配置することで滝を表現した意匠など見どころが多い。 |
× | 特に見当たらない。 |