100名城にして特別史跡の名古屋城に、江戸初期に二之丸御殿の造営にともなって設けられた二之丸庭園。千利休と師弟関係をもつ上田 宗箇(うえだ そうこ)によって作庭された。その後、江戸後期に大きく改変され回遊式庭園となる。昭和28年(1953)に北御庭と前庭が国指定名勝、平成30年(2018)にほぼ全体が国指定名勝となる。
平成30年(2018)にほぼ全域が国指定名勝となった二之丸庭園。まずは写真の二之丸東庭園の南池から周遊スタート。こちらは十代藩主・徳川斉朝(なりとも)により整備。明治以降に一部が失われたが、再整備され昭和53年(1978)に公開。現在は涸池となっているが、当時は水が張られていた。
なだらかな芝生と、所々に護岸石組や集団石組がみられる。
続いて北御庭へ移動。現在、二之丸庭園は2013~2023年までの10年間に渡る大規改修工事中である。通常は栗石が敷き詰められた枯池であるが、その遺構が見られる貴重な機会だ。
玉澗流の枯滝石組の西側にも枯滝石組がみられる。分かりやすいように写真に青マーカーを引いている。
さらに西側へ歩を進めると、立派な枯滝石組がみつかる。
枯滝石組の上部から撮影すると、このような光景。眼下には2段に落とされた滝石組、奥には、赤坂山と呼ばれる中島があり、切石による石橋が架けられている。写真では水が張られているが、これは工事中のところに雨水が溜まったもので、改修後は栗石の敷かれた枯池に戻る。
続いて、前庭へ向かう。左側には椰子の木ににた蘇鉄(ソテツ)が植樹。蘇鉄(ソテツ)は室町時代以降、各地の日本庭園でよく見られる伝統的な技法である。
前庭の北部には三尊手法の石組を中心にした石組がみられ、こちらにも枯滝石組がみられる。
南御庭の南部には切石による石橋が架けられている。写真の▼マークは枯滝石組であり、長方形の水落石(みずおちいし)が、水が流れているようにみえる見事なものだ。愛知県では、新城市にある冨賀寺の水落石も面白い意匠である。水落石:水を落とす部分に据える石であり鏡石とも呼ばれる。
南御庭の南部の築山上部にある天を突くような鋭い立石。実に優美な石だ。
苑路を進むと、二子山と呼ばれる築山があり、亀岩のような石組もみられる。
名古屋城の二之丸庭園は、他の大名庭園にみられるような池泉がないため注目する人は少ないが、青石を中心とした枯滝石組を多くみられる名園といえよう。
名古屋城 二之丸庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 和歌山の粉河寺庭園と双璧をなす豪壮な玉澗流の枯滝石組を見られる。 |
× | 特に見当たらない。 |