仁和寺は平安時代(888)に宇多天皇によって開基された真言宗御室派寺院。当時、法皇が住まう場所を「御室」と呼んだため別称として「御室御所」と呼ばれ、明治維新まで出家後の宇多法皇が住んでいた門跡寺院(もんぜきじいん)であった。平成6年(1994)に世界遺産に登録され、令和3年には国指定名勝に登録される。開基:資金提供者、門跡寺院:住職が皇室や公家によって受け継がれてきた寺院
世界遺産「仁和寺」。2018年の訪問時は葺き替え工事で庭園見学はあまりできず、2020年に再訪問。まずは国宝「金堂」より北庭を見下ろす。
出島と大石による滝石組がある。大石による滝石組は平安時代の手法とされ、仁和寺から徒歩15分ほどの距離にある法金剛院の「青女の滝(せいじょのたき)」が、平安時代から残る大石による滝石組として特別名勝に指定されている。「青女の滝」は仁和寺の僧侶・静意(じょうい)らによって造らたことより、仁和寺の滝石組も平安時代から残るものとも推測できるが確かな資料はない。また、平安時代の滝石組は池から離れた場所にあり、そこから流れや遣水で池泉に注ぐように造られ、つまり観賞用の滝ではない。
滝石組西部の山畔にある遠山石にもみえる石組。この護岸石組は昭和初期に改修されたものである。
御殿の中心となる建物「宸殿(しんでん)」。現在の宸殿は御殿の新築再建として大正時代に造られたものだ。
北庭の東側の池泉越しに五重塔と茶室「飛涛亭(ひとうてい)」がある。飛涛亭(ひとうてい)は、5名以上での予約拝観、もしくは毎年春に特別公開されるが撮影は不可である。
白砂が敷かれた出島から切石橋が架かり石灯籠を配している。右奥が茶室「飛涛亭(ひとうてい)」となる。
北庭の南東部には、枯流れを造っている。自然石の石橋が上品だ。
滝石組と出島。
宸殿と北庭を望む。皇族が代々住まわれた由緒ある門跡寺院としての風格を感じとれる。
宸殿と黒書院の間にある中庭。
黒書院の南側にも苔庭がある。
南庭は白砂敷きの枯山水であり、左近の桜と右近の橘が植えられている。江戸時代までは、方丈南庭は大切な儀式を執り行うための場所とされ、白砂敷きであることが多かった。
白壁には5本の筋塀(すじべい)がみつかる。これは、皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まり。定規筋の数が寺の格式を表し5本線が最高格式を表す。
○ | 池泉の形状、大滝の存在感、五重塔などにより門跡寺院らしい優雅な雰囲気である。 |
× | 特に見当たらない。 |