大正6年(1917)に西洋館と西洋庭園がイギリス出身の建築家ジョサイア・コンドルにより設計。日本庭園は、大正8年(1919)に庭園に芝生を初めて用いた植木職人7代目・小川治兵衛(おがわ じへえ、通称:植治)によって作庭。平成18年(2006)に国指定名勝に指定される。
こちらの黒ボク石積みは富士山の溶岩であり多孔質で軽く加工しやすいという特徴がある。黒ボク石は苔付き、西洋空間から一気に和の空間に引き込まれるが、境界部に違和感を感じさせない見事な意匠である。
心字池には大小2つの中島を設けており、写真は大きな中島から小さな中島へは筋違いに切石で橋を架けている。石橋を低く架けることにより水面をより広く感じさせてくれる。また地形をよく見ない分からないが、大きな中島は陸のようにみえるが築山をもった中島だ。
日本庭園のハイライトが枯滝石組周辺である。まずは枯滝石組から栗石により磯浜風の護岸を展開して、大型の雪見灯篭を据えている。現存する小川治兵衛の作品で雪見灯篭を用いたのは本庭園だけだろう。
こちらが枯滝石組であり栗石で枯流れを造っている。心字池の渓谷の水源を見立てた景観であり、旧古河庭園で最も美しいと感じたポイントである。
正面には先ほどの筋違いの石橋。そして右手前には船着石(写真には赤色の▲マーク)があることから、池泉舟遊式庭園を表現していることもわかる。ただ、実際には舟で庭園を観賞したような記録は見つからない。
築山から大きな中島を見下ろす。こちらは渓谷を表現しており、小川治兵衛が力を入れた場所のひとつとされる。中島により流れを設け深山幽渓のようである。
ポンプ式ではなく、井戸水を水源とした滝石組(大滝)。高低差は十m以上あり、滝に向かって沢飛石で繋がっている。
大滝を望遠レンズで撮影すると、三段落しの滝のようにみえる。また、滝壺手間には丸石が敷かれ、あまり例をみない珍しいものであると庭師が説明してくれた。
小川治兵衛の力作とされる崩石積(くずれいしづみ)。解説によれば、石を垂直に積む方法のなかで京都で発達した伝統的な手法であり、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。
数寄屋造りの茶室もあり、春・秋限定で茶室で抹茶がいただける。今回は日本庭園グループのオフ会で訪問していたこともあり、茶室は利用せず、茶室を取り囲む苑路を散策することに。
初回訪問時にこちらの茶室の存在に気づかなかった。都内の日本庭園ではあまり知られていない茶室と思われ、バラ開花シーズンでもゆっくりと楽しめるだろう。
左右対称の整形美である西洋庭園と、自然美の日本庭園を一度に感じられる名園。
旧古河庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 枯滝石組の造形はもちろんのこと、日本庭園と西洋庭園の境界に設けた黒ボク石積みは見逃せない。苔付いた石ボクが美しいため、雨上がりや雨天に訪問するのもいいだろう。 |
× | 特に見あたらない。 |