大沢池は平安時代(809~823)に嵯峨天皇が離宮嵯峨院(いわゆる別荘)の造営にあたり、中国湖南省の洞庭湖(とうていこ)を模して造ったとされる庭湖(ていこ)。日本最初の庭池であり、かつ日本最古の滝石組とされる名古曽(名古曾)の滝跡がある。現在は大覚寺に改められ、境内に大沢池が残されている。
京都最古の庭園が大覚寺にある大沢池庭園であることを知っているのは、かなりの庭園マニアだろう。また日本最古の池庭であり、かつ日本最古の滝石組跡となる名古曽の滝(なこそのたき)もみられる。大覚寺は「お堂エリア」と「大沢池エリア」に分かれており、どちらにも庭園があるためチケットを2種類購入。本写真は「お堂エリア」の五大堂から大沢池を撮影。
1周1kmの大沢池は人工池であり、平安時代の初めに写真右端の天神島と中央の菊ヶ島と岩島となる庭湖石があり、この2島1石の配置が嵯峨御流(さがごりゅう)いけばなの基礎となっている。借景となっている山並みは嵐山だ。
大沢池は水が涸れてくると、天神島の汀に洲浜が見えてくる。そして汀に沿って連なっている岩島は夜泊石(よどまりいし)とされる。夜泊石とは蓬莱山へ向かう宝舟が、夜のうちに船溜まりに停泊している姿を抽象的に表現したものであり、代表的なものとして山口県宇部市の宗隣寺 龍心庭があげられる。
宝舟の向かう先は蓬莱山であり、画面中央の岩島が蓬莱石に見立てられている。そして、大沢池ではこの蓬莱石を庭湖石と呼んでいる。
天神島の対岸から菊ヶ島越しに庭湖石と夜泊石を撮影。
大沢池の北部には2つめ見どころとなる名古曽の滝跡がある。平安時代初期の貴族・百済河成(くだら の かわなり)が作庭したと伝わる。
ここで位置関係をマップで確認。
名古曽の滝跡。
滝跡は三尊石組になっているが、現在は滝石組の一部が残るのみとなっている。
修復改善された平安の遣水は大沢池へと流れる。
名古曽の滝は、嵯峨天皇の滝殿から眺める庭園であった。平安時代の貴族の住宅形式は「寝殿造り」と呼ばれ、大沢池庭園が寝殿造り庭園の遺構であることが分かる。寝殿造りの遺構としては二条城近くの神泉苑ぐらいだ。
中秋には嵯峨天皇が舟を大沢池に浮かべ、中秋の名月を愛でた「観月の夕べ」が現在も楽しめる。大沢池は奈良の猿沢池、大津の石山寺と並ぶ日本三大名月鑑賞地であり、舟から観賞できる特別チケットも販売される。
大沢池を見学して帰ろうとしたところ、美しい枯山水に足が止まる。昭和10年に建築された望雲亭であり、火災による焼失により昭和50年に再建されたものだ。ただ門は閉鎖されており塀越しの観賞となる。
細部にこだわった枯山水であり、延段は高さを揃えた端正なもので、また石段と石段の間には瓦を縦に並べた手間をかけられた庭園であることが分かる。
○ | 京都で最も古い庭園という価値。そしてダイナミックな夜泊石もインパクトがあり、最後に枯山水のおまけ付き。 |
× | 知識がないと大きな池にしか見えないので、庭園通向けだろう。 |