五代将軍・徳川綱吉からの信頼を得ていた川越藩主・柳澤吉保が、江戸初期1702年に造園した大名庭園。明治時代に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の別荘となる。昭和13年(1938)に当時の東京市に寄付され一般公開、昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定される。大名庭園:江戸時代に各藩の大名が造った庭園
六義園は紀州の名勝を「六義園八十八境」として映し出している。本記事はツツジが見頃となる4月下旬と、5月下旬の2回訪問した写真を織り交ぜて紹介していく。まずは都心にあるにも関わらず、建物が一切視界に入らない空間が素晴らしい。それでは泉水の中の島にある築山「妹山・背山(いものやま・せのやま)」から眺めていく。古くは女性は妹、男性は背と呼び、男女の間柄を表しているとのこと。
大名庭園には子孫繁栄を願った陰陽石が見られることがあるが、六義園では陰陽石がかなり多い。立石は守護石とされる「玉笹」であり、男性器に見立てた陽石を兼ねている。玉笹の左が妹山で右が背山となり、和歌の「妹山と背山の間にある玉笹によって男女の仲が隔てられ、逢えぬつらさに涙をたくさんながす」から名付けた石だ。
玉藻磯(たまものいそ)も六義園八十八境のひとつである。
臥龍石(がりゅうせき)も六義園八十八境のひとつであり、数匹の亀が乗っているのことが多いが、今回は亀がおらず、龍が伏せているような石に見える。ちなみに東日本大震災で石組が崩れ沈下して一時期見れなくなっていた。
アーチ状の石組が蓬莱島である。蓬莱島とは修行によって不老不死になった仙人が住むと神仙島のひとつ。子孫を残すことが重要とされる大名が作った大名庭園ではよく見られる。ただこの蓬莱山は作庭当初の江戸時代には存在しなく、明治になって岩崎家によって据えれたと伝わる。こちらの写真は焦点距離200mm(35mm換算)で撮影。望遠レンズでないと、こもような詳細は確認できないので、六義園での庭園撮影では望遠レンズの持参をお薦めしたい。
滝見茶屋周辺は六義園で見逃せないポイント。右側にも大きな陰陽石がみれ、沢飛石の先にはワニの形をした奇石がある。
こちらがワニの形をした奇石であるが、六義園では陽石という見方もできるだろう。
説明書きがないと見逃してしまう水分石。通常、水分石とは滝石組から流れ落ちた流水を左右に分ける石であるが、ここでは滝石組と水分石を兼ねつつ、かつ水を3つに分けている。
水分石を図解してみると、このようになっている。水分石自体が滝石組となり、青色のラインのように3つに水を分けている。ここで残念なので雑草により流水を視界を遮られていることだ。水分石に流れ落ちる水は、枕流洞と呼ばれる洞窟石組から流水しており、かつては、河川から水を引いていたが、現在は井戸水が水源となっている。
ツツジのエリアから階段を登って藤代峠に向かうと、山頂に休憩広場がある。ここからの眺めは実に爽快。ベンチもあり、ここで飲み物を飲んで寛ぎたい。
藤代峠から妹山・背山に繋がる田鶴橋を見下ろす。焦点距離200mm(35mm換算)の望遠レンズで撮影しています。六義園では、見応えある鑑賞物が遠い場所にあることが多いため、焦点距離300mmクラスの望遠レンズがあると良いだろう。
六義園八十八境のひとつである渡月橋。横から見ると1枚岩に見えるが、2枚の大岩で構成されていて、重量感と質感のある渡り橋だ。紅葉の時期になれば左側のモミジが色づく。
六義園では森を散策しているような体験もできるのも魅力。都内の日本庭園では、おそらくここだけだろうか。森林に囲まれた小川沿いの散策しよう。メインルートから外れていることで人通りも少なく気持ちいい。写真は「つつじ茶屋」から撮影。
六義園の案内図。結構広く、小径を全部のんびり歩けば1時間はかかるだろう。 [ 案内図を拡大する ]
○ | アーチ形の蓬莱島は他ではみられない意匠で美しい。また庭園を見下ろせる藤代峠や、滝見茶屋などお立ち寄りポイントが多くたっぷりと時間を過ごせる。 |
× | 水分石の雑草により、水を3つに分流する様子が見えにくくなっている。 |