西明寺は平安時代に六光寺として創建されたと伝わる。鎌倉時代に北条時頼が出家して最明寺入道と名乗り、この地を訪れた際に最明寺と改称、そして安土桃山時代には西明寺と改称される。庭園は新しい住職を迎える記念として昭和53年(1978)に作庭。
西明寺といえば、湖東三山のひとつに数えられる滋賀県の西明寺を思い出すが、愛知県にも西明寺がある。大きな築山に護岸石組で囲まれた池泉回遊式庭園であり、周辺は木々で覆われている。
池泉手前側の護岸石組は横石などで低く組み、奥側は立石で組むことで庭園に立体感を生み出している。使われている石は丸みを帯び力強さが失われているが、これは江戸中期以降の特徴でもある。本庭園は作庭時期が昭和後期の作品となるが、力強さこそ弱いが、見どころの多い庭園だ。それを説明するために図解していこう。
図解してみると、亀島、鶴島、枯滝石組が造られてた蓬莱庭園(鶴亀庭園とも)となる。それぞれについて詳しくみていこう。
まずは池泉東部にある亀島。左の石が亀の頭となる亀頭石であり、亀脚石や亀尾石(きびせき)も分かりやすい。日本庭園では、亀島は分かりやすい具象的な意匠が多い。
一方、分かりにくいのが鶴島である。こちらは出島に造られた鶴出島となる。文献「中部庭園同好会庭園資料集」によると出島中腹部に羽に見立てた石を設置した鶴島と説明されているようだが、羽石に相当する石を判別できなかった。ちなみに鶴島は、本庭園同様に抽象的なことが多く、解説がないと分かりにくいことが多々ある。
亀島と鶴島をそれぞれ眺めるのも良いが、このように向かい合っている姿を望遠レンズで捕らえると、味わい深い景となる。鹿苑寺庭園(金閣寺)の庭園は、望遠レンズで眺めることにより、一層美しく感じる池泉庭園の代表格である。
続いて枯滝石組。これだけだと本当に枯滝石組?と思うが、苑路を使って上流にいってみると
このように枯滝石組で繋がっている。最初の景観では、その存在に気づくことはできず、こちらで枯滝石組の存在を知った。
滝上部はこのようになっており、水流を左右に分ける水分石(写真手前)の存在もわかる。本庭園では枯滝石組が一番印象的だったところだ。
池泉と書院の間は、愛知県の苔庭としてはトップクラスだと感じるほどの良質の苔庭となっており、飛石で苑路を造っている。
○ | 池泉側からは分かりにくい枯滝石組であるが、実は距離のあるもので美しい。また苔庭の美しさも見物だ。 |
× | 庭園の解説がないため、良さが分かりにくい。 |