製糸貿易で財をなした実業家であり茶人の原富太郎(茶名:原三渓)により明治39年(1906)に造園。同年に三重塔のある外苑が一般公開される。その後、空襲の被害を受けるが、復旧工事により昭和33年(1958)に内苑を含む全面公開。2007年には国指定名勝を受ける。
横浜の庭園といえば、浄土式庭園の称名寺と三溪園が知られている。三渓園には10棟の重要文化財建造物あり、なかでも約30年ぶりに大規模な保存修理工事が完了した臨春閣(りんしゅんかく)の特別公開に再訪して、記事を刷新することに。
重要文化財の臨春閣は、紀州徳川家・初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ)が江戸初期(1649)に和歌山に建てた別荘。大正6年(1917)に移築された。紀ノ川沿い建てられたいたこともあり、三溪園では池泉に面して涼を感じられる。臨春閣は今回の特別公開以外では、GWに特別公開される。
橋の中程にある亭榭(ていしゃ)から臨春閣を眺める。亭榭とは屋根のある見晴らし台のことであり、原富太郎(茶名:三渓)が京都にある高台寺の月見台を模して設計したものである。
第三屋の沓脱石は巨石によるものだ。おそらく鞍馬石ではないだろうか。
三溪園は重要文化財の建築物がメインであり庭園の要素は少ないが、臨春閣の池泉周辺は洲浜の意匠が美しい。特に洲浜に巨石を配しているあたりが秀逸だ。洲浜:汀を美しく魅せる技術。
臨春閣内でのカメラ撮影は禁止されていた。(屋内から庭を撮影するのもNGである)。ただ開園時間が9時で臨春閣の入館が10時となるため開園直後の1時間は、屋外よりほぼ無人での建築物の撮影ができる。今回は敢えて被写体にスタッフをいれてみた。
重要文化財の聴秋閣 (ちょうしゅうかく)。二層の住宅風楼閣で江戸初期(1623)に徳川家光が二条城内に建築させたものを、大正11年(1922)に移築した。臨春閣と並ぶ印象的な建築物であり、建物へのアプローチに巨石による沢飛石も力強い。
沢沿いに建て涼を感じさせる。正面からの景観も美しいが、この角度からだと建築物の立体面が際だち、見逃せない視点場である。
織田信長の弟・織田有楽(うらく)の作品とされる茶室「春草廬 (しゅんそうろ)」。少し分かりにくいが、茶室は建物の左手の3.8畳ほどのスペースで、広間と水屋は原三渓によって造築したものである。また手水鉢は日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓 疎石(むそう そせき)が天龍寺で愛用したものと伝えられる。
月華殿(げっかでん)は伏見城で大名控室として江戸初期(1603)に作られたもの。こちらも重要文化財である。
三渓記念館で茶道家の点てる抹茶を立礼席(りゅうれいせき)で頂ける。立札席:座敷ではなく椅子に腰掛けるスタイル
重要文化財の旧矢箆原(きゅうやのはら)家住宅。白川郷にあった合掌造りの建築物で、通年内部見学ができる。
旧矢箆原での囲炉裏。園内には展望台もあり、石油工場や海を眺めらる。ゆっくりと巡って2時間ぐらいの広さだろうか。紅葉時期にも改めて訪問してみたい空間だ。
三渓園の案内図。東京ドーム3.5個分という広さがよく分かる。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 臨春閣と池泉、聴秋閣と沢の組み合わせが美しく、10もの重要文化財の建築物を一度に楽しめる。 |
× | 歴史的建造物の集合体であるが故に、著名な庭園ではあるが、古庭園好きとしてはややもの足らない。 |