臨済宗妙心寺派の塔頭寺院である東光寺。創建時期は平安時代末期と伝えられている。開山は建長寺(鎌倉)を開山した蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)であり、作庭資料はないが、庭園も蘭溪道隆によるものを推測される。(パンフレットより)昭和61年に大規模な調査と補修工事が実施された。
山梨県の庭園としては恵林寺(甲州市)が知られているが、東光寺庭園も見逃せない。本庭園は事前知識なしでは無数の石で構成された池泉鑑賞式庭園にしか見えないが、いくつもの要素が潜んでいる。
東光寺庭園には4つの枯滝石組が作られている。こちらの写真では3つを図示しており、4つめの枯滝石組は後述します。また注目したいのは池泉が上下二段になっていることである。また、下段の池泉には舟石もみつかる。それでは、順を追ってみていこう。
まずは枯滝石組#1の上部から。写真に記載した赤い▼マークが、本庭園の主石となる立石である。主石の両側には滝添石が据えられ、★マークの斜めに力強く置かれた石が鯉魚石(りぎょせき)となる。つまり、鯉が滝を登るという修行を繰り返すという禅の理念を石組で表した「龍門瀑(りゅうもんばく)」である。さらに、この場所に置かれていることから、今まさに滝を上り切った鯉が龍へ変化しようとしている姿ともみえる。詳しくは龍門瀑の代表格である天龍寺 曹源池庭園(京都)を参照してほしい。
枯滝石組#1のほぼ全景。昭和61年の復元整備で、壮大な枯滝石組の姿を再びみることができるようになった。枯流には甲府盆地を南北に流れる釜無川から採取した玉石を敷いている。
続いて枯滝石組#2。写真上部にある石が蓬莱遠山石となり、蓬莱石の左側から枯滝石組は始まり、★マークの上段の池泉へと流れ込む。上段の池泉の右側には3つの長石を連なるように並べ池泉の堤としている。
記事最初の方の写真で図示していなかった4つめの枯滝石組は、築山西部にある。東光寺庭園復元報告書(昭和62年発行)を参考に図示したが、草木の生長により理解が難しい。そのため復元工事直後の写真を東光寺庭園復元報告書より引用させていただいた。
築山東部にある枯滝石組#3。中流部分が失われ詳細な形状は不明となっている。また池泉に落ちる直前、写真では青々した草が茂っている部分が実際は小池(青色で囲んでいるエリア)となっており、この小池に向かって流れが造られている。
池泉には舟石、岩島、平石岩島がみつかる。
舟石は復元整備時に池の水を抜いたときに、松丸太を長方形の井桁に組んだ台の上に据えられていることが分かった。また、矢の跡を船べりに見立てることで優雅な舟石としている。
さて、入園料の必要な書院をあとにして無料で散策できる境内へ。まずは、砂紋の美しい枯山水を眺める。なだらかな刈込みが穏やかな雰囲気を醸し出している。
枯山水庭園の奥には、さらに広い枯山水が広がり驚きの連続である。
天を突くような鋭い8石の立石や、
やや丸みがかった立石がみられる。解説がないため意図は分からないが、こちらもダイナミックで美しい。
また無料の境内東部には、玉石と飛石を見事な間隔で配置した東屋もある。山梨県では最も見応えある日本庭園といって過言ではないだろう。草木の枯れた冬にもう一度訪れてみたいと強く思った。
○ | 築山に4つの枯滝石組がみられ、主景には龍門瀑が控えるというダイナミックな庭園。無料で散策できる境内にも枯山水があり、山梨県最高峰の日本庭園ではなかろうか。また龍門瀑の上段に鯉魚石を配置した構成は、天龍寺 曹源池庭園と長野県駒ヶ根市の光前寺庭園の3例しかない珍しいものである。 |
× | 雑草の成長により、上段の池泉や築山西部の枯滝石組が識別しにくくなっている。できるだけ草木の枯れる冬に訪れるのが良いだろう。 |