阿波国分寺は奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)によって開基されたと伝わる曹洞宗の寺院である。鎌倉・室町時代には荒廃したとされ、江戸中期以降に本格的に再建された。作庭時期を示す確たる資料は残ってないが、各種文献を確認すると桃山時代に作庭され、本堂再建後の江戸末期に大改修されたと推測されている。作庭家は不明。平成12年(2000)に国指定名勝庭園を受ける。
2015年から2020年末まで本堂の改修工事が行われ、なかなか訪問できなかった庭園のひとつ。早起きをして開門時間となる朝7時に到着。住職と談笑しながら庭園に足を踏み入れると思わず声を上げた。日本庭園の美しさは石組にあると考える私にとって衝撃的な光景が広がっていた。なお池泉にはかつて水が張っていたため池泉回遊式庭園に分類している。
保存修理事業報告書では中島は亀石組とされている。亀石組には3本の石橋を架けて3本とも意匠が異なり、厚みのある自然石、切石、厚みが極めて薄い華奢な切石となっている。
本庭園には5つの枯滝石組があり、こちらは天生橋を潜り栗石で流れを表現している。
そして本庭園最大の見どころが天生橋だ。住職の計らいで園内から見学をさせてもらった。訪問前は分からなかった、いくつもの板石を組み合わせることで、まるで石が折れ曲がったような力強い石組を生み出している。本庭園には薄い板状の石を多く利用しており、正面からみると力強く、別角度から眺めると線のように薄くなり、見る場所によって変化を楽しめる。
橋下から天生橋を見上げると、2本の板状の石で構成されていることが分かる。左奥の石組も枯滝石組となっており、ここから流れだした滝水が天生橋を経由して枯池に注ぎ込まれるという地割りである。天生橋は中国の廬山にある天生橋(現在は龍門と称されている)を模したと推測され、重森千靑氏によると「近世に住寺した和尚が、中国大陸から日本に戻った後に、大陸に対するダイナミックな心象風景を庭園として表現したものではないかともいわれている」と話している。
2つめの枯滝石組。天生橋の北側にある築山頂部にも豪華な石組を創り、枯池に向かって栗石を敷いた枯滝石組となっている。余談ではあるが、かつては水が張られた池泉庭園であるため、専門用語では当初から水が無かった「枯池」と区別する意味で、「涸池」と表記することがある。
天生橋南側も見どころ沢山であり、次に図解していく。
蘇鉄前の石組は鶴石組であり、中央の立石は鶴羽石とされる。左側には3つめの枯滝石組だ。
庭園南東部には石組による築山を創っている。
本堂横にも石橋を架けらており、その先にも枯滝石組がある。また本堂の土台も青石による土台になっている豪華さである。
本堂西側も見逃せない石組がある。3組の巨石の石組があり、手前は亀石組のようにもみえる。
鶴石組のような意匠で、薄い板状の緑泥片岩(りょくでいへんがん)を意欲的に立て鶴石組のようもみえる。
案内案内図がある場合は記事最後はその写真を掲載するのであるが、本庭園は紹介ポイントが多数あるため、最後の1枚は天生橋の上部を撮影した写真を選んだ。記事でも触れたが薄い板状の緑泥片岩を多様している。ご住職にはいろいろな資料を見せていただき、庭園見学の参考になり、とても有り難かった。
○ | 数多くの緑泥片岩を用いた力強い石組が時代を超えた美しさを感じる。特に天生橋を正面からながめた意匠は見事しかいいようがなく、日本庭園好きであれば、これを観賞するだけで徳島を訪れる価値ある庭園といえよう。 |
× | 特に見当たらない。 |