江戸時代の豪商だった長 四郎三(ちょう しろぞう)が明治初年に建てた茶室。昭和48年に当時の所有者から足利市に寄付。庭園は明治時代の作庭とされ、平成20年(2008)に国指定名勝を受ける。
国指定名勝の物外軒は、毎年特定シーズンだけ一般公開される茶室と露地と庭園をあわせた施設。庭園はこの写真で70%をカバーしておりコンパクトな造りです。
本庭園は明治初年頃に作庭とされ、江戸時代に流行した鶴亀信仰を取り入れた鶴島と亀島が造られている。まだこの時代は平均年齢が40代であり、「鶴は千年亀は万年」ということわざにあるように健康長寿を望んだものである。
鶴島は切石の石橋で繋がっており、抽象的な表現である。その左にある亀島は陸続きであり、突き出た石が亀頭石である。訪問した2018年5月は、庭園ガイドを開設した翌月の訪問ということもあり、知識不足で亀島の存在に気づかず、亀島を紹介できる良い写真が撮れていなかった。
亀島の西部には切石による八ッ橋がみられる。切石には丸い穴があり、当初他の用途で使われていた石を再利用したものだと思われる。八ッ橋とは橋の種類のひとつで、複数の板をジグザグにした形状を表す。由来は無量寿寺(愛知県知立市)のカキツバタの池にある八ツ橋。現在では、八枚とは限らずハナショウブの池などでよく見られる。
力強い護岸石組は本庭園の見所でもある。パンフレットには「護岸を松丸太杭に景石を乗せて造る工法が当時のまま残っている貴重なもの」と記載されている。池泉の水かさが減ったときに、この工法がみられるのだろうか。
東屋から池泉を望む。
内露地から茶室を撮影。茶室の西側は外露地となっている。
茶室特有の小さな出入り口「にじり口」を茶室内部から眺める。「にじり口」とは、千利休が考案したものであり、日常と非日常の分ける境界であり、この境界をくぐると身分の違いはなく皆平等という思想である。
ガラス障子風の窓ガラスが素敵だった。
街中で無料開放されていることもあり、訪問時は多くの子供が遊んでいた。昭和にタイムスリップしたようなどこか落ち着く空間である。
物外軒の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | コンパクトな敷地に池泉庭園と露地が融合。公開日には居間で庭園を眺めながら抹茶サービスを受けられるのも嬉しい。 |
× | 特に見あたらない |