浄土宗の総本山である知恩院。大本山に東京タワーお膝元にある増上寺などを取りまとめる浄土宗の頂点となる寺院である。初代住職となる開基は法然(ほうねん)であり、平安時代後期(1175)に創建される。方丈庭園は江戸初期、山亭庭園は江戸末期に作庭とされる。令和3年(2021)に国指定名勝を受ける。
浄土宗の総本山「知恩院」。総本山だけあり敷地が広大、かつ山の斜面に作られ高低差があり移動がなかなか大変である。まずは、重要文化財の法然上人御堂に向かい、この中を通って方丈庭園の受付に向かう。このとき、ビニールに靴をいれて持ち運ぶことを忘れると、取りに戻ることになってしまいます。
知恩院には方丈庭園と山亭庭園に分かれます。パンフレットには山亭庭園は記載されていないが、勢至堂(ししどう)と記されているところに山亭庭園がある。まずは、大方丈と小方丈の東側から南側にかけて拡がる園池が北池と南池に分かれる方丈庭園から。写真は南池であり護岸石組に囲まれた中島を撮影。
中島には石橋が架けられ、紀州の青石の鋭い立石が据えられている。知恩院の庭園で最も美しいと感じる石組である。
同じく南池近くにある巨石による石組。苔石により風格が生み出されている。
北池へ移動。方丈側は枯山水となり、紅葉時期は松と紅葉により彩り豊かになる。
徳川家光が植樹したとされる「御手植の松」。
北池の見所はなんといっても青石橋だろう。古庭園サイトの大御所である「日本庭園紀行」によると、「大方丈の南側と東側に、建物を囲むようにし池泉が矩形に広がっている。この地割は鎌倉から南北朝にかけての様式である。」と説明されている。庭園作庭時期は江戸初期であるが、鎌倉後期の地割となるのか。
北池の東側斜面にある巨石の石島に驚くが、目を凝らすとその奥に枯滝石組が確認できる。200ヶ所ほど庭園を巡ると、だんだん目立たない枯滝石組に気づくことが増えていくものだ。
小方丈の東にある「二十五菩薩の庭」。臨終時に念仏を唱えることで、極楽浄土へ導かれることを石組と刈込みと白砂で表現している。刈込みは来迎雲(らいごうくも)を表現しており、極楽浄土へ導かれる雲のことである。
刈込みのなかに石組という意匠は、同じく知恩院境内にある「友禅苑」、有名庭園では、岡山県高梁市の小堀遠州作庭の頼久寺でもみられる。知恩院の庭園は江戸時代の作庭家・小堀遠州と縁のあるい僧玉淵(そうぎょくえん)によって作庭されといわれ、なるほど、共通の意匠に納得できる。
それでは、山亭庭園に向かう。百段ほどの階段を登っていくと、
このような見晴らしのよい露地(茶庭)が迎えてくれる。特に目を惹くのが立派な蹲居(つくばい)である。蹲居については、新潟の国指定名勝「清水園」の記事を参考にして欲しい。
知恩院の境内案内図(パンフレットより引用)高低差のある境内であるため、足腰の弱い方はご注意下さい。
○ | 池泉庭園、枯山水、露地と日本庭園の基本3様式を一度に愉しめる。なかでも、池の中島、北池の石橋と石島に見応えを感じる。 |
× | 広大な敷地の知恩院としては小規模な庭園であり、本庭園の前知識がないと見応えのない庭園に感じられてしまうだろう。また高低差がかなりあり、足腰の弱い方は注意が必要。 |